今日はある方のお話し会に行って来ました。
この1年、神人さん講演会をはじめ、いろんな方のお話し会へ行きました。
単にお話し会と言っても、そもそもの思想が自分に合うお話もあれば、「あれっ??」と頭を傾げるお話もあり、千差万別いろいろあります。
演者の話し方、話すスピード、声の出し方で、「ちょっと苦手かも…😅」となることもあります(←その時点で『篩い分け』なのでしょう)。
今日のお話し会では、演者の方が熱いパッションで、分かりやすくお話をされました。
それに共感する参加者の人のエネルギーがとても心地いいくらい、それぞれが何かヒントを得た喜びで包まれていました。
以前の私なら、「そうだそうだ、良かった良かった❣️」で満足できたと思います。
しかし、この1年、みっちりと神人さん講演会で学んだお陰で、演者のお話でちょっとでも「??」と引っかかるところがあると、ついつい「その出所はどこだ?なぜ、何のためにそう言うのだ??」と、曖昧な部分の真意を知りたくなるようになりました。
神人さんがすごいのは、直接指導霊に確認(=審神者)出来るところです。
なので、ちゃんと理屈がある上、自らの経験を通してもの言われるので、スピリチュアルなお話でもめちゃくちゃ理路整然としているのです。
もちろん、私は神人さんのように審神者は出来ないけれど、「??」と何か引っかかったところがあること自体が『違和感』だと思うので、それは真意が分からずとも、「丸ごと鵜呑みにしちゃいけない」の合図だなとも思うわけです。
『信じたい・信じたくない』はその人の分相応だと神人さんが仰ってますが、本当にその通りだなと。
かつて信じたいと思っていたものが、今はちょっと違うかも?と思えることも、魂の成長なんだろうなと。
こんなふうに、興味あって参加するお話し会でいろんなことを感じるのも、自分自身を知るきっかけになるのが面白い。
全てが分相応の学びなんだなと実感します。
「お母ちゃん、最近出かけてばかりだね…🙀」