6年目にして開花 | 新地球時代を生きよう!Dr.恭子の元気が出るブログ

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スキルス胃癌で胃を全摘後も大好きな内視鏡を握っている内視鏡医です。
南米ボリビア に子連れ赴任、フランスで料理修業、現在は神人さん講演会で真実を学びながら、毎日を明るく元気に生きていく秘訣をブログで書いています。

6年前に小さな鉢で購入したボリビア産のサボテンが、初めて開花しました。





今日の開花まで、蕾の状態が咲いてる状態なんだと勘違いしていた私…😅


茎まで含めると、ボリビアの国旗と同じ色🇧🇴


懐かしくて嬉しいじゃないですか❣️


そうしていると…。


なんと12年前に在ボリビア日本国大使館で一緒に働いていたメンバーから連絡があって、「当時の大使夫婦をはじめ、みんなで集まりませんか?」のお誘いが。


ボリビア産のサボテンが開花した記念すべき日に、ボリビア大使館のメンバーとの同窓会のお知らせ🇧🇴


なんてタイムリーな😊、いや、もとからそういう流れになっていたのでしょう。


私がボリビア大使館で働いていた3年半で、3人の大使が務められました。


どういうことかと言うと、ボリビアで大使が定年を迎えるケースが殆どなので、任期を終えて定年退職された大使を2人見送り、3人目の大使が来られた後に私が辞めたというわけです。


今回の同窓会に来られる2番目の大使は型破りな性格だったこともあって、外務省というお役人的立場からはみ出して、ボリビアの為に尽力されました。


型破りなキャラゆえに、型破りな行動で周りは終始ヒヤヒヤしていましたが、同じく型破り系の私は気持ちが良〜く分かるぶん、意気投合してました😁


一番思い出に残っているのは、当時現地職員として働く日本人や日系人、ボリビア人の定年が60歳だったのを、大使が外務省に掛け合って、定年を65歳へと引き上げたことです。


日本にいると想像しにくいかもしれませんが、家庭の事情でボリビアで暮らす日本人は思いのほか多く、彼らにとって安定した職を得るのはものすごく大変なことなのです。


なので「日本大使館で働ける」のは、現地で暮らす人にとって何より安定した職場を意味しており、そこで65歳まで働けることになって涙する職員もいました。


「誰かのために…」と自分の意思で働きかけたことが、想像を遥かに超えた感謝の念になって、いまだにその場でその思いが引き継がれているであろうことを思うと、人の念ほど強く影響を及ぼすものはないんだなと実感します。


ならば自分自身の行動もそうありたいと思った、懐かしい思い出話でした🍀