現在高校2年生の息子は、普段は寮で生活していて、2週に一度自宅に戻ってきます。高校生活のメインイベントである文化祭が終わって、いよいよ本格的に受験勉強が始まりました。帰省してくる息子の表情も、どこか重っ苦しいものを四六時中背負っているみたいで、受験生っぽく変わってきています。
そんな息子を見ていたら、はるか昔、私自身が受験生だった頃を思い出しました。
医者という仕事柄、勉強ができると思われがちですが(笑)、自分は頭が良いだなんて思ったことはありません。御多分に洩れず、小学校の頃から塾へ通っていたものの、中学受験、高校受験と見事に失敗して志望校に入れず、出来の良かった兄妹よりも沢山勉強していたのに、どうして入れないんだろうと劣等感で苦しい子供時代でした。
しかし、私の人生はすでにそこから繋がっていたんだなと今になって思えます。
当時ヤンキーって言葉がありましたが(笑)、結構荒れていた公立校で多感な時期を過ごしたことで、人の本質を見る目を養うきっかけになりましたし、ヤンキーだろうと真面目な生徒だろうと、外見にとらわれることなく誰とでも付き合える社交性をその頃から学んでいたように思います。もしこれがちょっと良いところのお嬢さん学校に通っていたら、ヤンキーと話す機会すらなく、社交性は間違いなく範囲の限定されたものになっていたでしょう。
そして高校1年生の時に知った心療内科という科がきっかけで医学部をめざし、「これしかない!」の勢いで猛烈に勉強した結果、現役で合格したので、人生どこでどうなるのか最後まで分かったものじゃないなと思っています。
じゃあ医学部を目指せるほど高校生で成績がグンと伸びたかというと、そういうわけではありません。お恥ずかしながら模試の成績はいつもD判定で、とても現役合格は無理だと誰もが思っていました。(私以外…)
ところが奇跡って本当に起こるんです。私の母校である久留米大学の入学試験の前日に、有機化学の暗記帳のような小さな本を本屋さんで買って、ホテルで夜パラパラっと眺めていたら、なんとそのまんま試験に出ていたという…。目に見えない運の応援ってあるんだなと、あれから何度もその時のことを思い返してきました。
運に乗るには、自分が「これだ!」って思ったことを信じて、ただただ頑張るしかない。そこは努力が必要です。
飛行機が離陸する時、滑走路をスピードを上げて走り、機体がフワっと浮いて離陸成功するように、人生の滑走路をがむしゃらに走っていると、追い風が味方してくれて、フワっと運に乗れるタイミングがやって来ます。
なので現実的な評価に縛られず、自分が最初に意図したことを諦めないのが大切!これは声を大にして言いたい!!
その後の私の人生は、これまでのブログの中にちょこちょこと書いていますが、『体験型人生』を通して自ら学び得たことを伝えたいと思ってきたので、一般的な医者道からかなり外れた道を歩んでいますが(笑)、でもおかげさまで抱えきれないほど沢山の経験をしてきました。それが今このタイミングで、「伝えたい!」という気持ちが湧き上がってきているのも、運の仕業なのかもしれません。
そしてこの運の流れに身を任せつつ、同時に俯瞰的な視点で自分自身を見つめながら、謙虚な気持ちを忘れないことも大事だと思っています。
今日の鎌倉山の空と私