2012年12月19日、仕事でしばらく名古屋に住んでいた際に訪ねた橋をご紹介…でも写真を見返すと、行ったのは隣の橋とここだけ。なんでわざわざこの二橋だけ見に行ったのか、まったく記憶がない。
その「隣の橋」からのファースト・コンタクト。
ライズの薄いアーチ橋のよう。
で、移動してきまして…幅の広い橋なので、正対写真は撮らず(撮れず)。またストビューからお借りしましょ。
現在地はこちら。現場では左側の道からやってきた。
余談ながら、この手の幅広橋もできるだけ正対写真を撮ってはいるんだけど、幅広すぎて「橋の写真」感がないのよね~。たいてい横断歩道を渡りながら、とかで、信号待ち車両にも不審な目を向けられながらで萎えるし、もう義務感のみ(笑)。なのでここみたいに、もういいや、ってなることもしばしば。
で、まず目を引いたのが、
立派な親柱!高さ4mくらいあるんじゃないか。
お名前は、
「記念橋」。
なんの記念だろう?と調べてみたら…それは最後に。
サイド気味アングル。
おっと、なんか見えた。
石組み暗渠だ。
どっかから接近できたかもしれないが、そこまではせず。
そしてこの部分、
現在の橋は三代目だということだが、親柱と袖高欄はオリジナルなのだとか。
渡って、北東の親柱。
「昭和五十二年三月竣功」。これが三代目の完成年で、銘板だけ付け替えたということか。
いやしかし、
立派よな~。
1924(大正13)年完成の二代目橋からアーチ橋となったようで、写真を見るとその二代目橋のフォルムをおおむね踏襲しているようだ。
横断歩道を渡って、南東の親柱。
「きねんはし」。
こちらで新堀川を見下ろすと、
ちょっと気になる暗渠出口が見えた。
渡って対岸から見ると、こう。
こういうの見ると、大都市の地下に広がる広大な闇黒世界を想像して、ちょっとゾクゾクしてしまう。入りたくはないけど。
で、最後。南西の親柱。
銘板を撮ってないってことは、既出のどれかと同じだったんだろう。
わたくし特に気に入った、橋詰のテラス的なこの一画。
素晴らしいデザインですなあ。余裕のある都市デザインの賜物って感じがする。
さてこの橋、いったいなにを「記念」したものかと調べたら、わかったようでわからなかった。
まず橋そのものは、明治43年に鶴舞公園で開催された「関西府県連合共進会」に向けての道路整備において、新道が新堀川を渡るところに架け掛けられたのが当橋だった(架橋は明治42年)。名古屋で最初の鉄石混用橋であったという。
で、その「関西府県連合共進会」は、「名古屋開府300年」の記念事業の一環として行われたもの。
つまり、状況的には共進会開催のために架けられたが、大局的に見れば名古屋開府300年を記念した命名…なのかと思われる、ってとこかなと。
というわけで、以上。














