2025年9月25日、本格再始動のYHST周遊2日目。この日のネタで記事にしているのは、最終物件の前橋。今宵ご紹介するのは、序盤に訪ねた物件。
そのファーストコンタクトがこちら。
見にくいが、左奥にも欄干がある。相当に斜めってる橋だ。現在地このへん。
右側の欄干。
一見してわかる、クラシカルな意匠。
その手前、ガードレールに隠れて、
だいぶ風化した親柱がある…が、情報は読み取れない。先に書いとくが、現地親柱には一切の情報はなかった。
まあ、わたくし事前にQ地図様で知って来ており、「その名前」が現地で見られることを期待していたんだが、まあ仕方ない。
「その名前」にまつわる…というか、それそのものが、
こうして橋上から拝める。
わかりますかね?
これは、かつて山陰本線から分岐していた引込線が下を通っていた痕跡。
もう少し進んで振り返ると、
かなり斜めった橋の下を、さらに斜めにくぐっていた様子がよくわかる。
そう、この橋の名前は、そのものズバリ「引込線橋」という。剛速球なネーミング、嫌いじゃないぞよ。
そしてこれは左側の高欄。山陰本線に沿ったサイドだ。
端正な高欄がしっかりと確認できる。いいね!
で、こちらももちろん…
引込線のカルバートが確認できる。植生のためわからないが、すぐ先は山陰本線。
見たかったなあ、
「引込線橋」っていうお名前の字面を。
こちらが、反対側からの全景。
斜めすぎて、左右の高欄がほとんど重なってないほどだ。
ところで、上の写真でもわかるが、
左側の高欄の脇から、降りられるようになっていた。もちろん行く。
おお~、
なんかカッコいいぞ(語彙力
当然、降りようとしたんだが…断念した。
なぜって、路盤跡はこの(右側)ような激藪の掘割になっていて、
常軌を逸した蚊の大群に襲われたため。
あのおぞましい羽音?に包まれ、すぐに退避したものの、両腕や首筋など十数か所被弾。あんなの初めてだった。車に虫除けスプレーはあったものの、心をポッキリ折られた…。
帰ってから、ふと思い立って調べてみたら…さすが!やはりすでに訪問されていた。しょうさんの記事をリンクさせていただく。
しょうさんの訪問は2010年3月と、わたくしよりも15年も先行されている。当時はこの橋と山陰本線の間の木立もなく、また掘割もスッキリとクリアに見えているので、ぜひご参照いただきたい。
Q地図様によれば、引込線橋の完成年は1937(昭和12)年とのことなので、遅くともこれと同時か、あるいはそれ以前から、引込線は存在していたことになる。なお、しょうさんの記事によれば、廃止は1997年3月らしい。
ちなみに、この引込線が通じていた工場、現在の名称は株式会社日本製紙江津工場となっている。
改めてしょうさん、ありがとうございました!
最後に。
引込線橋の先は、
このようなプチ廃道となっている。
なぜならば、30mほど進んだところで、
このようにぶった切れて終わっているからだ。状況的に、かつてはこの先へ続いていたのだろうが…。
ならば引込線橋は何のために存在しているのか?というと、
このように、渡ったところで右下へと下るスロープがあり、その先に十数軒程度の住宅などがある。
この住宅群には、ここからしかアプローチできない(少なくとも車では)。つまり、ここのお住まいの方々だけのためのセミ・プライベート橋的存在として、余生?を過ごしているのだった。
というわけで、江津駅から直線距離で200mちょいしか離れてないのに、街中のエアポケットのような不思議な雰囲気が印象的な一角だった。
以上。
















