【3】より続く。
それでは改めて、じっくりと見ていこう。
橋台は両側ともコンクリで固められているけど、元は岩盤むき出しだったのだろう。あと橋上の欄干、こうして見ると、欠損しているのがよくわかる。
ちなみにこんな場所に、
欄干の笠石とおぼしきものが横たわっていた。
初訪問時には、上の写真でちょっと向こうに写っている大きな石の脇にあったっけ。
こんなふうに。元に戻したい~。
よく見ると、
コンクリで固められた部分の上は、丸石の練り積みっぽい。オリジナルの姿が知りたいなあ…。
さて、前回は写真が暗かったが、
フラッシュ・オンでクリアにご覧あれ。
見慣れたねじりまんぽは、軸方向に長くて幅は比較的狭い…いわゆる隧道状になったものがほとんど。
対して当橋はその逆。ゆえに、とっても異形な印象を受ける。
それにしても、見れば見るほど魅惑的だなあ、ねじりまんぽ。難しいことはわからなくとも。見ているだけでうっとりする。え?わたくしだけ?
また上流側より。
改めて、アーチ根元のスプリングラインがコンクリで塗りつぶされてしまっているのは、まさに痛恨!
触れておきたいことは、まだある。
スパンドレル部は、セオリーどおりイギリス積み。これも一部にガイド線を入れてみた。
アーチ環の処理についてだ。
煉瓦橋梁の場合、たいていの場合は煉瓦の小口面を何層か重ねてアーチ環を形成するのが一般的。隧道であれば、環石を設えることもあるだろうが、まあそのいずれかだ。しかるにこの橋はといえば、ご覧のように、極薄の巨大煉瓦で覆われている。薄すぎて、ほぼタイルと言ってもいいような異形煉瓦だ。
こんな煉瓦が普通に存在したわけはないので、わざわざこのために焼成したものだと思われるが、いったいなぜこんな手の込んだことをしたのか。
熊野街道の起点変更に伴う新道が拓かれたのが、1886(明治19)年。これが、この橋の建造年なのだろうか?そう思いたいところだが、実は今とは道がちょい違ったらしく、はっきりしたことはわからない。こんだけの手の込んだ橋だというのに、ろくに記録もないようで、わたくしにはお手上げだ。
いやほんとに、路上からではわかり得ないこの変態っぷり。
路上ギリギリからだと、かろうじてここまで見えた。って危ないよこんなとこで撮っちゃあ。
そうそう、この橋の名称について、記事タイトルでカッコつきで姉橋としているのには、ちょっと複雑な事情がある。これについては、連載の最後に書いた方がしっくりくるかと思うので、それまでお待ちを。
【5】に続く…が、内容的にはブレイク。









