【5】より続く。
さて、ここまで引っ張ってきたが、ほぼ全体の紹介が終わったところで、そろそろいいかなと。
今回のネタの記事を書くに当たり、道の来歴などを調べてみた。そちらの成果はなかったのだが、
代わりに、ここになにがあったか、驚くべき情報を得た。
タメずにいこう。わたくしかなり驚いたんだが、それはズバリ、
♨ 温 泉 ♨ なんですと。マジで。
その証拠をご覧に入れよう。
今昔マップ、いつもながらどうしてもうまく貼れないので、やむを得ずスクショで。
見られる中では最古となる1894~1915年の地図を見ると…なんということでしょう、今いるまさにこの場所に、紛うことなき温泉マーク♨が!
ありがたくも、管理人様より引用とリンクの許可をいただけているので、まずはこの驚きの事実を知ったサイト様をご紹介させていただきたい。
「おかちゃん眠りの館」様。改めて御礼申し上げます。で、興味深い記事がたくさんある中に、今回の情報元となった「多摩の七ツ湯を探して」があったのだった。
わたくしの見識不足か、武蔵の國に温泉のイメージは皆無だったんだが、七ツ湯ってほどに温泉地があったなんて。
その七ツ湯は、
1、岩蔵鉱泉(青梅市小曽木)
2、出湯(青梅市長淵)
3、鶴ノ湯(西多摩郡奥多摩町原)
4、蛇ノ湯(西多摩郡檜原村数馬)
5、藤ノ湯(あきる野市三内)
6、玉の湯(あきる野市網代)
7、鹿ノ湯(西多摩郡日の出町平井)
上にリンクを貼った当該記事、様々な文献を当たっての綿密な調査をされた労作で、「七ツ湯」の所在地がとそこが今どうなっているのかのレポートまで含んだ、非常に充実した内容となっている。
で、今回のこの場所にあったのは、ズバリ「藤ノ湯」。上記のように、当然この「藤ノ湯」跡地にも訪問されており、レポート中にはなんと、在りし日の森添橋の姿も収録されていたりする。わたくしの写真との対比もできるので、こちらもぜひご覧いただきたい。
今昔マップをさらに見てみると、
1928~1945年の地図にもこのように♨マークが描かれているが、
1972~1982年の地図になると、
♨マークが無くなっている。
「藤ノ湯」がいつごろまで存続していたのかは不明。レポートによれば、昭和48年ごろにはここに別荘があったようで、管理人様は「温泉旅館が廃業して別荘になり、その後無くなったということだろうか。」と考察されている。
そう知って改めて写真を見直してみたら、
石垣及び「遊歩道」下に、温泉擬定地からの水抜き?穴がいくつか写ってた。まあだからどうした?レベルだが。
ならばこれとか、
「サイフォンでは?」というコメントもいただいたが、やはり温泉の関連施設だったのだろうか?
この廃墟にしたって、
かつての温泉施設の成れの果てなんだろうか?いや、あるいは昭和48年ごろに存在していたという別荘の遺構か。
もちろんわたくし、現場では温泉跡地だなんて知る由もなかったので、もっとよく観察すればよかったなあとプチ後悔…。
さて、戻りだ。
戻りは予告通り、深沢川沿いのルートで。
遠目にはなんだかややこしそうだったベルギーワッフル直下も、
全然問題なし。
この感じ、
今も歩く人がいる感じだ。何の用でかはわからないが。
今昔マップでの描かれ方を見る限り、
やはりこのルートが「遊歩道」の正規ルートのようだ。そして、いずれの橋も描かれていない。
やはりこの「遊歩道」の出自、温泉の存在とは切り離せないように思う。温泉場への道、湯治場道だったのかも。
名称不明橋を渡り、斜面を登り返して、
現世に復帰〜。
ここから5分も歩けば、もう武蔵五日市駅前だ。なんだかすごいエアポケット感。
最後に、Google Mapの航空写真版でご確認を。
ほぼ中央の、まとまった森のようになっている部分、その中の深沢川(三内川)左岸部、地図での表示だと「三内体育館」という文字の左あたりが、幻の「藤ノ湯」跡地と思われる場所だ。
近隣の住民で、かつてここに温泉場があったことを知っている人はどのくらいいるのだろう。現場にも一切の案内もないし、ほとんど知られていないのではないだろうか。
それだけに、今回のリンク先様のような「埋もれた歴史の発掘」は、とても価値のあることだと思う。拙ブログも、少しでもそのような記事が書ければと…一応気持ちだけはあるんだが(笑)。
以上、完結。