2023年2月12日の東村山界隈お散歩にて、こっちに来てストビューで見つけてからずっと行きたかった物件を訪ねてきた。そもそもこの日自体、ここを訪ねるついでのお散歩だったくらいで。
西武新宿線・久米川駅から、本日ものんびりと野火止用水沿いを歩き…
見えた。この瞬間がたまらんですな。
絶妙なチラリズム…
煉瓦アーチ!これをストビューで見つけたときはテンション上がったなあ。
改めてズームで。
巻厚三層の煉瓦アーチで、迫受石は斜めになっているタイプ。スパンドレルはイギリス積み。高欄はオリジナルではなさそうだが、親柱はもしかしてそうかも?
南(東)側より正対。改めて、場所はこちら。
後付け鉄柵のせいでまったく面白い橋には見えない。怖いトラップだ(謎)。
広くはない道路だが、東京都道129号東村山東久留米線である。こうして橋に正対すると、道と橋の位置関係がなんかオフセットしてて変だ。なんでこうなっているのかはこの後わかったが。
続いて北(西)側より。
野火止用水沿いの道も、狭いのに人車の往来は多く、また信号もあるので、地味に撮影がめんどくさい!
で、右側の親柱…、
たぶん誰も見えないだろうが(笑)「中橋」と刻まれている。見るんじゃない、感じるんだ(爆)。
つうか、わたくしもQ地図様で名前を知った上で訪ねたので、そう読み取ることができたが、素で見たらなかなか厳しかったかも。
ちなみにあと二本親柱は現存していたけど、いずれも文字が刻まれているようには見えなかった。
下流側からのサイドアングル。
こちらはコンクリート。後年に拡幅されたようだ。
これが、橋と都道のオフセットの原因だろう。橋と都道を拡幅した時に私有地境界との絡みでこうなったと思われる。つうか、拡幅時に解体撤去・架けなおしされなかったことに感謝ですな。
最後に改めて、
もう一度鑑賞~。
よく見ると、アーチの側壁は
切石ではなく玉石が使われている。けっこう珍しい。
Q地図様によれば、この橋、1910(明治43)年の完成だそう。御年113年か。素晴らしい。
今昔マップでこの場所を見ると、
一番古い地図で1917~24年のものなので、描かれているのはすでにこの橋だということになる。
十分に古い橋だが、拡幅されたりしているせいか、土木遺産指定はされていないようだ。調べた限りでは、東村山市からも「別に…」な感じで、あら冷たい。
まあそんなことにはお構いなしに、出来る限り長生きしてもらいたい中橋でありました。