今宵はちょっと異色な記事。先日の大阪城公園駅開業記事の写真漁りの際に、ついでにサルベージしてきた写真でお送りする。写真3枚だけのシンプルな記事。
まずはこれ。
物件のほぼ全景となるこちら、今は亡き国鉄清水港線に存在した、巴川可動橋である。ご覧のように、列車通行時以外は橋げたが上がり、船舶がくぐれるようになっていた。
清水港線は、東海道本線清水駅から三保駅までを結んでいた臨港線で、1984(昭和59)年4月1日をもって廃止となった。
わたくしがここを訪ねたのは1984(昭和59)年1月15日のことで、今のようには土木構造物には興味はなかったが、当時の国鉄旅客路線で全国に4か所だけの可動橋のひとつということで当路線のトピックのひとつだったので、わざわざ見に寄った。
とはいえ実際のところ、当路線の最大のトピックは「旅客列車が一日一往復しかない」ことであり、朝に三保まで行っちゃったら、夕方まで折り返しを待つか、別の手段で戻るしかないわけで、わたくし静鉄バスに乗って三保から戻り、最寄りのバス停で降りてここに来た。
とはいえ当時のわたくし、
撮ってたのはこの2枚のみ。まあそれでもよくやった自分!と褒めてはあげたい(笑)。
ちなみにストリートビューから、概ね同位置の見え方を。
ほぼ往時の面影がない状況だが、正面の軽バンのフロントガラスくらいの対岸をよく見ていただきたい。橋台の遺構が現存しているのがわかる。
ちなみに、先ほど触れた「当時の国鉄旅客路線で全国に4か所だけの可動橋」だが、内訳と現況は以下の通り。
・清水港線 巴川可動橋(昇降式) 【現存せず】
・桜島線 北港運河第一橋梁(跳開式) 【現存せず】
・山陽本線(和田岬支線) 和田旋回橋(旋回式) 【現役】※旋回機能は廃止
・佐賀線 筑後川橋梁(昇降式) 【歩道橋として現役】※国指定重要文化財
いずれも乗り鉄時代に乗って通過したことはあるものの、こうして写真に収められたのは、ここ巴川可動橋のみであり、そういう意味でも貴重な記録ではあるな~と思い、こうしてご紹介した次第。
最後に、列車で通過した際の本橋を。
いやまあ、これじゃわからんですな(笑)。
清水港線そのものについては、いつか別途記事にするかも(しないかも)。
これ…テーマ分類に悩んだが、一応「鉄道橋梁」で。