星合橋と驚きのオプション (大阪市北区天神橋) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2016年3月2日、仕事で行った大阪で近くに面白そうなのを見つけたので行ってみたら…予想もしないものを見つけた、そんな話(笑)。

 

 

 

まずはこれ。

大阪天満宮…の近く。場所コチラ

 

 

 

 

 

 

正面の橋がお題のやつで、

お~!期待通り石橋。

 

この時点では、不覚にも気づいてなかった。そんなもんがあるとは思いもしてないので。

 

 

 

 

 

 

渡ってから振り返り正対。

 

 

 

 親柱には、

「星合橋」「ほしあひはし」と。

 

 

 

 

 

 

「ほしあひはし」の側面には、

「昭和十年五月一日」と。

 

 

 

 

 

 

南森町にこんなとこがあるとは、

知らんかったな~。

 

 

 

 

 

 

さて~。

 

星合橋のそばにしれっと鎮座していた、予想もしなかったブツを見つけたのは、実は立ち去りかけた時。慌てて戻った。

マジか!

そこにあったのは、ここから500mほど南にある天神橋、その先代橋に掲げられていたに違いない扁額!

二枚目写真にも思いっきり写ってるが、気づいた方、おられた?

 

ウィキ先生によると、1888(明治21)年に木橋から鋼トラス橋に架け替えられたということで、(載せられないのが残念だが)その写真も掲載されている。そこには見間違えようもなく、この扁額が写っている。

 

 

 

 

 

 

扁額の裏面には、

「明治二十」という文字が見えている。見切れててわかりにくいが、「二十一」とありそうにも見える。それなら架橋年とも一致するが、「二十」でも建造中と考えればまあおかしくはないかな。

 

 

ウィキ先生には、「鉄橋の橋名飾板は、現在天神橋北詰に保存されている。」という一文があるが、ここ星合橋わきのブツには一切触れていない。また、現地にもなんら説明看板などもなく、もうちょっとなんかならないのかという気はした。

 

 

 

 

 

 

外側から引きで見ると、

こんな感じで、なにやら説明の看板があるのだが、

 

 

 

 

 

 

それは星合橋の架かっている「星合の池」に関する解説。

これはこれで興味深い内容ではあるが、天神橋との関連は不明だ。

 

これまたウィキ先生によれば、1594(文禄3)年の架橋から幕府の管理となる1634(寛永11)年までの間、橋の管理は大阪天満宮が担っていたということなので、そのあたりに何かあるのかもしれないけど。

 

 

 

 

 

 

最後におまけ。

コチラ現在の天神橋、1934(昭和9)年架橋。

 

最初の写真と最後の写真のギャップが凄い(笑)。

 

 

 

 

以上。