【2】より続く。
もうそろそろ「中の段」の終わり…つまりふたつ目の折り返しが近いと思うのだが、
まだ仕掛けてきやがった。…わかるかな?
転がったパイプに続き、現われたのは、
路盤左側に水平な平場(つまり道は下っている)と、それを画するコンクリ擁壁。
そしてその平場には、
1.2m四方くらいの四角形のコンクリ構造物が、四つ並んでいた。また出たよ、意味不明な構造物…。
第一印象は、ここ全体が何らかの水槽的なものじゃないかというものだった。踏み抜いて落ちたりしたら洒落にならない(てか死ぬ)ので慎重に調べてみたが、特に蓋のようなものは見当たらなかった(と思うが責任は持てない)。
上の写真の対角線上からの一枚。
何度も書いてるけど、なんだろね?意味不明なものが多すぎて…。
何か手掛かりを求め、うざい藪を潜ってこの平場ドンツキまで探ってみたが、
ナッシン・アットオーーール。(言いたいだけ)
いやいや、なぞなぞばっかり出して答えを教えないとか、
嫌がらせですやん、こんなん。ちなみに向こうに転がってるのは、わたくしの探索バッグ。
謎ときは諦めて、もうすぐそばに迫っているはずの第二の折り返しへと向うが、
この一帯の激藪が、今回の最凶クラスだった。
これは最凶区間を突破しての振り返り。
ここは気合一発、強行突破でぶち抜いた。ちなみに、中央右側のコンクリ擁壁の上が先ほどの平場ドンツキ、という位置関係である。
そして、残念なお知らせ。ここ二つめの折り返しも、痕跡皆無だった。
つまり、ここ。
さきほどの最凶激藪区間を抜けたところで路盤は流されて壊滅。
これは、その流されて崖となった部分を降りてから振り返った景。右中央に路盤の端が見えているが、わかるかなあ…。
降りてしまうと、こんなコンクリ擁壁…のなれの果てがあったが、
「下の段」がこの擁壁の上だったのか下だったのかさえも、もはやわからない。
で、この景をみればおそらくお分かりだと思うが、ようやくN川の川面至近まで降りてきた。
振り返ればすぐそこに、
某ダムの威容。
そもそもこの「ルートB」入口のある道路はあのダム天端を通っており、完全にダム完成後にできた道である。あのダムの完成は1969年ということなので、状況的にこの「ルートB」もそれ以降につけられた道路だと思われる。
ちなみに、今回改めて調べて知ったのだが、この先にあるあの一軒宿「T乃家」は昭和初めの創業とのことで、当初は上流のSヶ原からの川下り舟でしか来ることができなかったという。ならば前回の「ルートA」は、間違いなく「T乃家」への「正」アプローチのためにつけられた道であることが確定。
対して今回の「ルートB」は、なんのためにつけられた道だったんだろうか。ここまでのところ、その答えは見つからない。むしろ、謎が増えるばかり。
さて、ここからはいよいよ最終ステージ、「下の段」探索へと移行する。
これは先ほどのコンクリ擁壁裏側だが
なにかが立ってた…と思しき支柱っぽいものとか、あとはさっき「中の段」で見たようなケーブルが絡まってたりとか。
少し進んで見上げれば、そこには
「中の段」の平場があの位置に。
先ほどのコンクリ擁壁を最後に、道路遺構は見られなくなった。
それどころか、
ついに道自体がなくなっちゃったよ。
そこには大小の岩で埋め尽くされた斜面が続いているだけ。どうやら度重なる増水ですっかり流されたと見える。いや、めちゃくそ歩きにくいんですけど?
なんだこれ。思いっきりガチな廃道じゃないかよ…。改めて、前回行かなくてよかった。
少し進むと、
上から…つまり「中の段」から下りてくる金属管を見つけた。
上を歩いてる時には気付けなかったな。すぐに地中に埋まってしまったが、これどこに続いてたのかなあ。
…という疑問の答えを、すぐに知ることとなった。
歩きにくい足元から、ふと目を上げると…
あ…!?
【4】に続く。