2019年8月31日、仁丹看板ハントのためにやってきた大津。南口から地上に上がり…ふと思い立って訪ねた物件をご紹介。
ここは、近場ながらも久々の再訪。
初訪問は2011年5月22日だから、ゆうに8年以上ぶり。はい、もちろん、そこに見えてる穴が今宵のお題でございます。
正対すると、こう。
場所はコチラ。天下の国道1号をくぐる地下道なのだが、
実は…
煉瓦巻き!
けど、全面的に白塗り&お絵描き済み!!
実は、このあたりの国道1号は、まんま東海道本線の旧線を踏襲しており、
この築堤自体も鉄道時代のもの。よってこの地下道も、その忘れ形見として現代に残る生き証人なのだった。
で、このお絵描きはなにもDQNの仕業ではなくって、
この地下道が現在どういうあり方をしているかを如実に表しているのだが…。
その答えは、抜けた先に。
「おはよう 今日も元気にがんばろう!
逢坂小学校1996年度卒業生一同」
そう、この地下道、今は逢坂小学校の「ほぼ?」通学専用の地下道として過ごしているのだった。ちなみに正面は登校時に目にする部分だが、下校時に目にするであろう左側壁面には、
「さようなら 気をつけて帰りましょう」と書かれているのが微笑ましい。
そうなるとお察しの通り、洞内の壁画も、いつかの時点で授業もしくは学校行事の一環として、こどもたちによって描かれたものだろう。
まあこれをもって、「せっかくの煉瓦がブツブツ…」なんて言うのは野暮ってもの。任務を持って今を生きているということ自体が素晴らしいじゃないの。しかも、こどもたちに国道1号を渡らせることなく、安全に登下校させるという重要な任務。やっぱ、使われてナンボだし、この壁画は許せる。
前回も、そして今回も
この階段は登らなかった。でも、考えてみたらどんなふうになってるのか、一度登ってみればよかったな。どうせ小学校には入れなくしてあるだろうし。
振り返り正対。
でも…この左側の絵、なんかいささか怖くねえ?(笑)
おデコに名札(笑)があって、
「逢坂地下道」と。
少し不思議な気もするのだが、どうも完全に小学校専用ってわけではないようだ。今度機会があったら、やはり階段を登って確かめてみよう。
ちなみに記事タイトルの通り、鉄道構造物としての正式名称は、上野川橋梁だという。上野川という河川が暗渠となって下を流れているのか、廃川になっているのか、一切不明だ。ちなみに最初の写真に写っている川は吾妻川なので、これではない。
カニさん、タコさんに見送られながら、
いざ、仁丹ハントに出陣(笑)。
以上。