2011年6月1日、房総の隧道王子(当時・笑)ことまききさんと、2回目の合同探索。
…ってほどの大げさなものじゃなく、ブラブラしながらまききさんおススメの隧道に連れてっていただくっていう、ゆる~い俺得企画(笑)。
JR総武本線の大網駅で待ち合わせて、最初の隧道へ…
の道すがらに見つけて、急きょ停まっていただいたのが、この橋。
場所はコチラ。
あの銘板の感じ、きっと古いぞ。昭和三十年代前半くらい?いや、高欄のアーチ型開口部を見ると、もしかしてもっと古いかも?はい、目が悪いので、まだお誕生日は見えておりません(笑)。
まききさんには、えっ?こんな橋で停まる?って思われたかもしれないが(笑)、アカデミック派でない橋好き(笑)にはわかる(かもしれない)、「ちょっといい」系の橋。
下流側?からのサイドアングル。
右岸側から左岸側に向け、橋がハの字になってるのがわかるだろうか?最初の写真を見ると、どこかの時点で拡幅改築されたようだが、高欄は生かしてもらえたようだ。
お名前は、
いけだばし。
お誕生日は、
「昭和十一年三月竣功」。なんと戦前橋だったか!
渡って…ってまあこの短さやけど(笑)、反対側の親柱。
漢字のお名前、「池田橋。」
隣には仮設橋が組まれていた。仮設橋の向こうに見えるは、まききさんの愛機・テリオスキッド。
上流側、仮設橋からのサイドアングル。
よく見ると、落とし戸もしくはスルースゲートが設置されていたと思しきスリットが刻まれている。なんだろうか。
ささやか~な、古びたコンクリ橋。
橋好きであっても、コレに反応する人はまあ少ないのかも(笑)。
でもこのたたずまい、とってもイイ雰囲気。「好ましい小品」と表現したい、戦前のコンクリ橋だった。
一枚目はじめ、ここまでの写真でもなんとなく伝わるかと思うが、この橋周辺はおりしも区画整理というか土地開発中というか、そういう変化のさなかにあるがゆえの不安定感が感じられた。
このちっぽけな戦前コンクリ橋なんて、吹けば飛ぶような存在。この先どうなるのかな~と、不安を感じたのを覚えている。
そんな池田橋、久しく忘却の彼方に沈んでいたのだが、
先日のパパゲーノさんの記事で、お亡くなりになってしまったことがわかった。
うわ~、味もそっけもないボックスカルバートに…嗚呼、無常(泣)。
パパゲーノさんも書かれている通り、昭和中期以前の橋は、すでにどんどん姿を消して(架け替えられて)いる。戦前のコンクリ橋ともなるとなおさら。古い橋を見かけたら可能な限りおさえてきているが、この池田橋のように、すでに鬼籍に入ってしまったものもかなりあるんだろうな~と。
改めてそんなことを感じさせられた一件でありました。パパゲーノさん、ありがとうございました~。
この後のネタで記事にしているのは、長谷隧道(仮)。
以上、完結。