【4】より続く。
またも行方知れずになった水路を追ってゆくと、その姿が完全に現れた。
そこにあったのは、
巨大な石積み堰堤!
写真では伝わらないかもだが、これかなり見事なものだった。隧道よりも反応してしまったかも(笑)。
水路があったとおぼしき辺りを振り返って見るが、
もはやさっぱりわからん(笑)。
けど、まず間違いなく、ここが取水堰堤なんだろう。
見よ!
この威容を!
ホントこの取水堰堤、立派だ。
堰堤中央に、
開口部が設けられていて、ここからの流れが神有川となっているのだった。
もちろんこの開口部も
石組み。
さすがにこの穴に突入する猛者はおらんだろうが…(笑)。
こうなると、当然(?)、
この上に行きたくなるのが人情ってものでしょうアナタ。
もちろん、上の写真の場所を直登したわけじゃなく(笑)、
左岸側に渡ってよじ登ったのだった。
登って、堰堤天端から見下ろし。
ちょうど、二枚上の写真の逆アングルとなる。
で、堰堤の上流側は
このような池状の広がりとなっていた。
こここそが、この探索のきっかけとなった元発電所池なのだそうだ。地図で間違って記載されていた場所の大戸川と、まあ感じは似てるかな確かに。
5分ほどで左岸側からは撤収。もと来た道をたどって、
前回も出した、この写真の分岐へ戻ってきた。
実は、この分岐のことをすっかり忘れていて、危うくスルーするとこだった。これを登っていけば、今度は堰堤の右岸側に出られそうだ。
1分少々も歩けば、
堰堤と、元発電所池が一望に。
とっても日当たりのいいこの堰堤の上で、しばし休憩した。気持ちよかったな~。
で、ふと思い立って、もしかして「アレ」的なやつがこの辺にあるんじゃ…?と探してみた。アクロバティックに(笑)。
すると…
あった(笑)。「アレ」的なもの、すなわち扁額が。
どこにあったんや!?って?それはまあ後で(笑)。
右書きで「亮天功」。「天功(てんこう)を亮(たす)く」と読み、中国古代の聖天子とよばれた瞬帝の言葉だそうだが、意味は調べきれなかった。余談だが、同じく「亮天功」の扁額が、京都の蹴上発電所建屋にも存在している。
そして見逃せないのが、左側に刻まれた揮毫者。「青柳栄司」と読める。この名前を調べてみたら、近代日本で電気関係の様々な業績を残している電気工学者だった(ウィキ)。
苦労して、別アングルから。
扁額ほぼ全体像だが、ここで危うく見落としそうだったことに気づいた。
扁額の最下部に…
どうも竣功年が刻まれてるっぽいやん!
しかーし!これが絶妙に判読できない!真ん中辺りに「十」とおぼしき文字があることくらいしか…。大正三年五月に運転開始だから、それを意識してありそうな年号表記をいろいろ考えてみたけどさっぱりわからず。ぬおお歯がゆい。
扁額を掃除したら、もうちょいしっかり観察することができるのかもしれないが、なかなか大変な場所なので…。
そう、この扁額。どこに見つけたかと言えば、
ここでした~(笑)。
堰堤だとよくこの辺りの位置に扁額または銘板があるから、もしやここも?と探してみた結果、しっかり発見。嬉しかった(笑)。
この写真でははっきりわかるが、実際は日陰かつ植生旺盛でかなり見つけにくい状態だった。よく見つけたと、自画自賛(笑)。ちなみに堰堤上に転がってるのは、わたくしのウェストバッグでございます。
で、想像つくと思うのだが、写真に収めるにはかなり厳しい位置にあってですな(笑)。ちなみに最初の写真は堰堤上から腹這いになって、後の二枚は斜面を降りて下から獲ったもの。
降りるときのひとコマ。
この安定感の悪いところで、爪先立って思いっきり手を伸ばして撮るのはけっこう危なかった(笑)。…やっぱ伝わらんな。
さて、この後は…
【6】に続く。