21日の昼休み、いつものようにモータースポーツの情報サイトをチェックし…茫然とした。
5月20日、かねてから病気療養中だったニキ・ラウダが亡くなった。享年70歳。
21日になってこのニュースは世界を駆け巡り、全世界でこのレジェンドの死を報じた。さっきYouTubeでカナダCBC Newsでの報道を拾ったので貼ってみる。
そもそもニキ・ラウダって。ウチのブログに来られるお客様の主要年代を考えると(笑)、ご存じ、あるいは「名前くらいは知ってるよ」って方も多いのではないだろうか。
ニキ・ラウダ:
F1世界選手権個人総合王者3回(1975、77、84年)
出走:177回
優勝:25回
表彰台登壇:54回
ファステストラップ:24回
その記録もさることながら、数々の逸話や物議を醸す言動、そして、ともすれば「運転技術と勇猛果敢さ」が美徳だったモータースポーツの世界に「頭を使うことの重要性」というファクターをもたらした男。「レジェンド」という言葉がペラペラと薄っぺらく濫用される現代、ラウダはまさに正真正銘のレジェンド、モータースポーツ界の伝説的存在だった。
もっとも有名なエピソードとしては、(やはり上のニュースでもガッツリ触れられているが)76年第9戦ドイツ・グランプリでの大クラッシュによる重度の火傷で数日間死の淵をさまよったにもかかわらず、わずか4戦後の第13戦イタリア・グランプリで早くも復帰、いきなり4位入賞!という不死身の復帰劇。「不死鳥ラウダ」伝説である。上の写真は、事故前のもの。カッコいい…。
ラウダについては、5年以上前にこんな記事を書いている。映画「RUSH」を観に行った時だった。
その時も書いたのだが、ニキ・ラウダという人は、わたくしにとって初めての「畏怖を覚えた実在の人物」だった気がする。実在の、っていうのは、歴史上の偉人とかでなく、同時代に生きている人間として、っていう意味で。「RUSH」は、改めておすすめなので、興味のある方はぜひ一度ご覧あれ。
先述のとおり、この業界に「頭を使う」ことを持ち込んだラウダ。テストや開発の重要性を真に理解しそれを最大限に活かした。勝てるレースは決して取りこぼさず、勝てないレースでは無理をせず、ダメージを最小限にとどめる。いわゆるリスク・マネジメントだが、こういう発想のできるレーシングドライバーはそれまで存在しなかった(とされている)。その意味で、現代レーシングドライバーの始祖であるとも言える。
フェラーリで二度の王者となった後に移籍したブラバム、そこでチームメイトとなった新人、ネルソン・ピケ。そして引退を経てカムバックしたマクラーレンでチームメイトとなった、血気盛んなフランス人、アラン・プロスト。若く才能ある二人は、ラウダからそれぞれ多くを学び、ピケは三度(1981、83、87年)の、プロストは四度(1985、86、89、93年)の王者となった。
ラウダ自身も復帰後の84年に三度目の王者となったが、これはチームメイトのプロストをわずか0.5ポイント差で下しての王座獲得。
ポールポジションなし、勝利数でも一発の速さでも若きプロストの後塵を拝しながら、圧倒的なレース運びの巧さと取りこぼしの少なさでポイントを積み重ねる、まさに円熟の極み、老獪なラウダの面目躍如、というシーズンだった。
最終戦の表彰台で、落胆するプロストに「アラン、来年は君の番だよ」と声をかけたというエピソードは有名。その言葉通りに翌85年、プロストは初の王座を勝ち獲ることなったのだった。
改めて、偉大な人物を亡くした。ご冥福をお祈りします。
*生涯戦績以外は記憶のみで書いたため、間違いがあるかもしれません。また、写真は全てネットからお借りしました。