【2】より。
間もなく渡り切る。そう長くないながらも、かなり刺激的な橋だった…
まだあんのかい!
てか、ラストの取り付き部分が一番危険かも(汗)。植生に徐々に呑みこまれつつあるので日当たりが悪く、かつ橋上に落葉などが堆積し、結果桁板の腐食が昂進されているような。どこを踏んでも踏み抜きそうな気色悪さがある。
不覚にも渡り切った先の橋上から撮影を忘れてしまった。こちらはそこからの振り返り。ほらね…桁板のヤバさが伝わるだろうか?
こっちには親柱があった!まず向かって左。
「庄堺橋」。この時点で初めて正式名称が判明。
そして向かって右。「犬上川」と。
残念ながらお誕生日は不明だ。
現世に復帰して、改めて眺めてみる。
こちらもしっかりと封鎖。渡り始めもそこそこガッチリ塞いであったが、納得。こりゃ危険だ、確かに。
ちなみにここは彦根市清掃センター正門のほば真ん前。ガサガサガサー!と騒々しく出てきたら、おりしも休憩中の職員の方がこっちをガン見。意味不明の薄ら笑みと会釈を投げて切り抜けた(切り抜けられてへんやろ・爆)。
やっぱりアプローチでの高まり感も含めて、西側からのほうがお勧めかな…って、公式にはここもお勧めはしない(謎)。
隣接して架かる開出今橋を渡って、車へ戻る。
開出今橋から望む庄堺橋。前篇冒頭であえて小さく載せたがここでは大画像で。コレ見たら行くでしょ、普通。
犬上川は古来より氾濫を繰り返してきた暴れ川である。
この庄堺橋がいつ頃架かったのかは不明ながらも、調べてみると少なくとも3回(!)流失の憂き目を見ている。すなわち、昭和28年台風13号、昭和33年台風13号、そして翌昭和34年台風15号、いわゆる伊勢湾台風である。従って現在のこの姿は、昭和34年伊勢湾台風により流失したものを復旧した姿、ということになるだろうか。
画像を見ると、明らかに向かって右側(西岸側・現在水が流れていない)が新しく、左側(東岸側・現在水が流れている)が古く見えるが、すぐ上流で屈曲した流路を見ると、いかにも流れてしまいそうな側が古いのがちょっと謎だ。もっと調べてみたい気もするが…。
大方のご想像通り、災害による流失によりまるであしゅら男爵のような(ふ、古い…)姿となった庄堺橋は、平成12年の開出今橋竣工にともない、自動車交通の一線から退いた。知る人ぞ知る橋満載ブログ「河童倶楽部」さんには、歩行者用となった庄堺橋の現役時代の画像が収められていたが、拝見するとそんなに古い時代ではなさそうな。どうやら完全に役目を終えたのはここ数年というところのようだ。
調べていく中で、平成22年の開出今町内会総会にて当橋の撤去要請を議決、彦根市に 撤去要望書を提出した、との記述があった。三度に渡って復活を繰り返してきたこの橋も、遅かれ早かれその役目を終え退場することになりそうだ。その前にこうして業界初(?)レポートとして残せたことに、自己満足を覚える今日この頃。
以上、完結。
【おまけ】
ちなみに開出今橋画像ものっけておこう。彫刻家・清水九兵衛氏デザインによる高欄が 実に個性的な橋だ。