本日、あいにくの天候の中プチお出かけ。予定通り?滋賀県物件数が1002件と4ケタの大台に乗った。ありがとう、ありがとう。(誰に?)
というわけで、個人的に1000件突破を祝って、滋賀祭りをしばし継続しま~す。とはいえ、古いネタが一番多いのも滋賀物件。本日も古いネタで恐縮ですが…。
2009年2月12日、この趣味では最初期にあたる探索だが、いきなりこんなとこ行ってごめんなさい(笑)。今みたいにたくさん写真撮ってませんので、いきなり現場。まずはこのカット。
見えているのは東海道本線の現在線。まあ書きませんが、ここへ到達するのにはドエライ苦労した…。あ、線路の横断などしてませんよ。
場所はコチラ。
ここには東海道本線の旧線が廃線となって残っていて、そこには現在線にはない隧道が。その名は仏生山(むしやま)隧道。冒頭の写真はその坑口上に登って撮ったもの。では、さっそく米原側坑口のお姿をどうぞ。
コイツはうれしい単線並列。
煉瓦隧道の単線並列、なかなか間近で鑑賞できるところは少ない。しかし年間で最も植生の薄いこの時期に来て良かった~。
そして、お気づきかと思うが、土かぶりの薄さも特筆モノ。
実はこの隧道、明治22年の敷設当初には存在していなかった。つまり、大きな掘割でここを通過していたわけ。ところが掘割両側からの落石・崩落が頻発、落石に乗り上げての脱線事故まで発生するに至り、遂にここに隧道が建造された、という経緯。つまり、掘削されたのではなく、煉瓦を積んで線路を守ったということで、用途としてはロックシェッドそのものだった、と言える。
昭和31年の電化に際し、狭小な断面がネックとなって現在線が敷設され、隧道は放棄された。そして、現在に至る、と。
坑口手前には路盤を横切って小さな水路が切ってある。激藪の時期なら、足を突っ込むか引っ掛けるか、いずれにしろ転ぶ(笑)。
洞内の様子。
コレは確か…上り線のほうだったか?
このような短い隧道だった。向こうに見える彦根側坑口、土砂が迫っているのがわかると思う。この様子は最後の写真で。
「逆さ富士」ならぬ「逆さ坑口」は水没の証し(笑)。しかしこの時はなんとかスニーカーで突破できた。コレは振り返り。
続いてコチラ、たしか下り線側の奥から振り返り。
うん、写真のクオリティは変わらない(笑)。
続いて、左側から坑口上に登ってみる。
特に苦労もなく、坑口上まで行けた。
分厚い笠石がめっちゃ立派!
ただ、上部がかまぼこ型に盛り上がっており、この上を歩いて行くのはけっこう危険だった。冒頭の写真もこの途中に撮影。
なんで笠石の上を渡ったかというと、そこから斜面を巻いて彦根側坑口へ行くのがベストなように見えたから。よく覚えてないけど、とりあえず隧道上の土かぶり部分は立ち枯れたマント群落の海で、見るからに無理無理感があった。
けどこっからがまた、けっこう大変やった記憶が…(汗)
結局、なんとか撮影した彦根側坑口は
高っ!(笑)
高巻いたはいいけど降りる場所がなく(笑)、こんな高いとこから失礼します~。
ハイッ!というわけでね。
ここで撮影した写真、これでほぼすべてだったり。今ならこの10倍は撮ってるだろうな(笑)。
ここもず~っと再訪したいと思い続けてる物件なんだけども、どうも色んな意味でハードルが高くて…。しかし5年半も前か~(遠い目)。
以上、完結。