予定していたネタは都合により延期いたしまして、その次予定だったやつを。
以前、2015年2月15日のダイジェストで出した際にちょっと反響があったやつなんだけども、2017年2月26日の徘徊にて再訪問、もうちょっと写真を撮り足してきましたので、ようやく記事にいたします。写真はこの2回分のが混じっております。
えー、本日のお題は
コチラ…え?手前の石ですよ(笑)。
コレを見てなんとなくピンときた方もいらっしゃるかも?
はい、コチラです。
「非人施行田」碑。
コレねえ…あれから調べてみたりもしたんだけど、どうもよくわからなくて。
「非人」という言葉自体は、歴史的にある種の人たちに対して使われてきた言葉。現代の感覚だとハッキリ言って差別用語なんだけども、中世においてはある特定の職能を持つ民、芸能に携わる民を指していたんだとか。
で、中世後期から、次第にそれらの人々が「穢れた存在」「賤民」と見なされるようになっていくのに伴い、蔑称として使われることになった、らしい。端的に言えば(笑)。
で、「施行(せぎょう)」は文字通りの「施し(ほどこし)」を表すみたい。つまり中世における「非人施行(ひにんせぎょう)」とは、
「仏教者が慈悲行・布施行の実現を目的として、非人(被差別者)に対して行う慈善事業」
なんだとか。
時代が下っても、基本的には「施行」=「施し」という図式は変わらず、つまりこの「非人施行田」というのは、「非人」の人たちを食わせるために拓かれた、あるいはそれに供された田、という意味なのだと推測する。
この背後の田んぼがそうなのか?あるいはどこかから移されてきた?ちなみに、碑の背面には何も刻まれていなかった。
そして、
この碑には年号が刻まれている。
かえって見にくいな…(笑)。
「天保十五辰年春」。
天保十五年と言えば、1844年。11世紀ごろには使われていたらしい非人施行という言葉の歴史からすると、かなり最近のものではある。
それでもコレってもしかして、
かなり貴重なものではないでしょうかね。
石碑をいちいちチェックなんてしているわけじゃないけど、こんなの他で見たことも聞いたこともないし。ちなみに「非人施行田」という言葉でググっても、そのものズバリは何も出てこない。これからは、ウチのブログが出てくんのかな…。どんなブログだ(爆)。
こうして見ると、そのサイズ感がお分かりいただけるだろう。最初に通りかかった時になんでこの石碑に注目したのか…。
やっぱり呼ばれた?ことにしておこう(笑)。
以上、完結。
うーん、書庫に困るな(笑)。