管の谷橋 【前篇】 (和歌山県田辺市龍神村小家) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
もういっちょ、先日の紀伊半島からネタ投下。
 
 
2017年5月5日、深遠なる紀伊半島彷徨の2日目・朝。前夜車中泊した「道の駅・水の郷日高川龍游」を後に、国道424号線を北上。この日は朝にメインターゲットがあり、色々通りすがりにシバいてからそこへ到達する予定だった。
 
とりあえず、何もなさそうなノーマークなあたりを快調に飛ばしていたら…目を疑う光景が目に飛び込んできて、急停止&ターン。
 
 
いやいやいやいや…
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ウソやろ!?
 
国道には橋があるように見えないその横に、まさかの開腹アーチ橋!?なにこれぇ?
 
コレはインパクトあった。こんなの見たことない。一体どういう状態なんだね?速やかに調査だ。
 
 
上の写真は振り返ってのもの。コレが、
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ファースト・コンタクト時に近い見え方になる。
 
国道は橋っぽい雰囲気もほとんどなく、しれっと通過していくけど、
 
 
 
こんだけのアーチ橋が架けられるというのは、
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本来けっこう深くて急峻な谷…だった?はず。
 
 
 
しかし、現在
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そんな様子は全然なく、橋の直下は物置みたいな使われ方をしている。むむ~。
 
 
わたくしなりの仮説はぼんやりと頭にあったが、まずは登ってみよう。橋のお名前やお誕生日を知りたい。
 
 
…というわけで、登ってきまして正対。
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こうして見ると、普通の古い橋。しかし向かって右にある石は何だ?
 
 
 
その右の親柱。
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見にくいが、「すげのたにばし」とある。
 
この謎の谷の名称が「管の谷」ってことだろうな。
 
 
で…あの石柱。現場ではよく判読できず、写真だけ撮ってきたのだが…。
 
悔しいことに写真も鮮明ではないのだが、さっき見て驚いた。
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タテ書きで右から
「昭和三十四年九月
和可山県建造
建示二等橋●●●
製作者 御坊 大川組」
 
鋼橋に付いている銘板なんかではよく見るが、こういう石柱タイプのものは初めて見た。コレは…珍しいぞ…。和「可」山県って表記も初めて見たし!
 
 
そして、向かって左。
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「昭和三十四年九月四日竣工」。
 
さっきの石柱が示す通りだが、細かい日付が入っているのも、また珍らしい。年度末の三月三十一日ってのはよく見るけど。
 
 
それにしても、この
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国道との位置関係。
 
 
 
先ほど書いたように、
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わたくしなりの仮説があったのだが、
 
この先を見るに、どうやら正解だったようだ。
 
 
この道を進んでいくと、
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ガクッと下がって国道に接続するのだが、さらに向こうをよく見てほしい。ここと同じくらいの高さに平場があるのがわかるだろうか。
 
あれは、この道の本来の続きだったと思う。時期は不明だが、現国道が整備された時に間が削り取られて、向こう側はたぶん廃道として残っているのだと思う。つまり、
 
この細道は、国道424号線の旧道に違いない。そして現国道の整備に合わせて、急峻だった谷が埋められた…のではないだろうか。あるいは、この谷が天災で埋まったために、道路が再整備された可能性だってある。
 
 
ちなみに写真右端あたり、岩が四角くくり抜かれたところがわかるだろうか。今はがらんどうだったが、以前はお地蔵様がおられた形跡があった。
 
 
なかなか…いや、かなり、
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イマジネーションを刺激されるな~、面白いな~。
 
 
 
はい、まだ終わりませんよ(笑)。
 

 

 
 
【後篇】に続く。