2015年7月20日、日野~土山あたりを徘徊した際のお話でございます。
まずはコレ。
ココは滋賀県道9号大河原北土山線上、旧土山町は鮎河地内。このような、極めてステルスな橋に気づいて停車した。コレは北側より。
場所はコチラ。
何気に、小ぶりながらも立派な親柱を発見しちゃったからなのだが、
「昭和十年八月竣功」っとね。
やはりな…いかにオーラを消そうとも、わたくしの目はごまかせんぞ!(←馬鹿
なかなか悪くないね…。
うむ、悪くない。
そして南側より。
いや~しかし地味やな~。
…で、終わるとこですよ、普通は。しかしぃ、わたくし気になってしまったの。
「高欄が片側しかないけど、もう片方はどうなった?」
いや、っていうのも、手前側(南側)の親柱に刻まれていたのも、北側と同じく竣功年。肝心のお名前がわからなかったのでね。
それに、ここは下がどうなってるのかも気になった。なんか有りげな気配を感じたのよ。例えば…煉瓦アーチとか、そういうヤツが。
というわけで、おもむろに降りてみたらば…
我が嗅覚、お粗末っ(爆)
うーむ残念!コンクリ製のボックスカルバートだった。向かって左の擁壁も気になるところだが、とりあえず現在の姿にさほど面白みなし。
まあでもせっかく降りてきたしな。
一応橋の下も見るだけ見とこうか、と思ったら、
なかなかコレも悪くない…って、
なんかあるよ?どこって?右側に。
コレってさ、
親柱でしょうよ!
間違いない。あの意匠が施された石柱は!
ドキドキ、バシャバシャと(笑)回り込んで見たらば…
備後!…もとい
ビンゴ!「三瀧谷橋」!
まっさか、こんなとこにいらっしゃいましたか~!
実は、想像していた名前だった。橋上にあった、土山町設置の山地災害警告看板
により、この下を流れるのが「三滝谷」なる名称であることがわかっていたからだが。
これまでどこにいらしたのかわからないけど…
なんの因果か、今ではこのような哀れな状態に。
こういう場合、絶妙に文字面が下になって読めないのが自分内あるあるだったのだが、今回はクリーンヒット!!
いや~降りてきた甲斐があったわい。
橋の下で、
三滝谷の流れは人工の滝となって落ち、100mほど先で野洲川へと注いでいた。
最後に振り返り。
なんだかんだで、もろもろ「悪くない」三瀧谷橋のお話でありました。
以上、完結。