かつて何かでチラリとその写真を見たが、絶対に訪ねるべき物件なのは明らかだったので。
「お寺とくれば、どうせ石橋ネタでしょ?」
その通り(笑)。が、先述のとおり、タダモンじゃないのよ。
なぜなら、その物件には
非常に珍しい…と言うか、唯一無二であろう特徴があるから。
手前にあるのは、予告篇で「コレじゃない」とした橋。
スルーするには忍びない橋なので、簡単にご紹介。
向かって右の親柱には「渡香橋」と刻まれている。左の親柱には変体仮名で(おそらく)橋名が刻まれているが、浅学のわたくしにはとても読めない。
その部材すべてが石で、おそらくは大正以前の建造だろう。かつては池があったのだろうが、今ではこの状態。よく見れば、もともとは三径間だったようだ。
個人的にはこの橋だけでも記事を一本書けるし、そんだけの写真も撮ったのだが、
今回ばかりは相手が悪い。
皆様もこの奥が気になるでありましょう!
わかってますよ、すぐやりますよ(笑)。
まあそもそも、
コレなんやねん?って話ですよね。
よく見たら、左の塀ぞいにもケッタイなもんが並んでおるでしょう?
そしてその先に…もう見えてる…。
ゴタクはすっ飛ばして、いきなり核心に迫ろうか。
ほい。
…いや、ワケわからんでしょうね、ええ(笑)。
えも言われずなんかがおかしいんやけど、どう表現していいかわからない、そんな感じ?
問題はモチロン、その欄干だろう。でももう少しだけお待ちを(笑)。
向かって左の親柱、植え込みに隠れてしまってるが、よいしょ…。
「雪鯨橋」。
そして目ざとい方は、1枚目の写真で瑞光寺の石柱上部に何かが書かれていたことに気づいていた…ハズ。
以下、いささか長いけど、引用。
「1756年(宝暦6年)に瑞光寺4代目住職・潭住知忍(たんじゅうちにん)が、南紀太地浦(現在の和歌山県太地町)に行脚した。太地の村人は捕鯨で生計を立てていたが、折からの不漁のために食べるものにも困っている状況だった。村の代表者が潭住に豊漁祈願を依頼したものの、潭住は「殺生は仏教の教えに背く」として一度は断った。しかし村人の困っている様子を見て豊漁祈願に応じることにした。
潭住が祈願をはじめたところ豊漁となり、村の危機は解決した。後日、村人は瑞光寺を訪問し、お礼として黄金30両とクジラの骨18本を寄進した。潭住がクジラの供養のために、クジラの骨を使って橋を造ったことが、雪鯨橋の始まりとなった。」
「長さは約6m、幅は約3mの橋である。欄干はクジラの骨で造られている。クジラの骨を使用して架けられている橋は日本でもここだけといわれ、また世界的にも例をみない珍しいものとなっている。最初の橋は18世紀半ばに架けられた。古くは橋のすべての部分にクジラの骨が使用されていたといわれるが、天明(1780年代)の頃からは橋板は石造となったと伝えられている。
橋は老朽化に伴って何度か架け直されたが、1945年に太平洋戦争の戦災によって焼失した。その後29年間橋は途絶えていたが、1974年に捕鯨地で橋ゆかりの地でもある和歌山県東牟婁郡太地町の協力を得て橋を復興した。橋はその後、老朽化に伴い2006年11月に架け直された。」 (ウィキペディアより)
さすがに、コレに付け加えることは何もない(笑)。
橋の手前に建つ石碑は
「第五回鯨橋架替紀念碑」。
左端に「昭和四十九年五月十二日 竣工」とある。上記解説で触れられている、戦後に復興された際の紀念碑であるようだ。
そして塀ぞいに並べられているのは、
その第五代目橋で使用されていた、鯨の肩甲骨だと!
いや~、なんとも珍しい眺めだ。こんなもん博物館や水族館でも見られないだろう。
あとは例によって、写真連打で。
「弘済池」とは、もちろんこの橋の架かる池の名前。
言葉はいらないな。
そうそう、鯨に引っ張られて忘れるところやったけど(笑)、
この橋、そもそもが端正な石アーチ橋。
これだけで十分素晴らしいのに、その上にこんな超弩級オプションが付いてたら、もう反則(笑)。
それにしても、初期はすべてが鯨骨でできていたというこの橋、いったいどんな姿だったのか、イマジネーションが刺激される。…海賊っぽい感じとか?(笑)
ここはまるで、異空間。
異形の橋が存在しうるのもまた、異空間だから、なのかも。
紀州・太地(たいじ)と言えば、昨今ではシー・シェパードでもおなじみの(皮肉ですよ・笑)、捕鯨の町。海ぞいでも何でもない、遥か離れた浪速のお寺との意外な接点は非常に興味深い。そして現在に至るまで、周期的に橋の架け替えに際して太地の漁師衆との絆が受け継がれていることも、また素晴らしい。
お寺は開かれた場所。なので、基本的にずんずん(もちろん節度を持って)入っていっても大丈夫。この時もちょうどお寺の方がおられたが、特に咎められることもなかったので、挨拶して撮影させていただいた。まあ、遠回しに何を言いたいかっつうと、
この橋は、一見の価値がある。ってこと。
以上、完結。