【3】より続く。
洞外へ出ます…名残惜しい(笑)。
そして振り返り。
深谷隧道・深谷側坑口。
こちらの扁額は
さて、反対側(鮎川側)のほうが雰囲気が良かった、と書いたが、代わりにこっちには重要なモノがあった。
ちょいと引いて見てみよう。
おおー!状態いいね~!
ヒマな方は拡大してお読みください(笑)。
要は、この隧道の開鑿に大きな役割を果たした真砂久一(まなごきゅういち)氏への感謝を記した碑で、隧道完成後の昭和31年9月に建てられたもののようだ。道理で状態がいいと思った。大正以前の石碑とかならこうはいかない。
ココに書かれていることを調べたくて検索してみたら、素晴らしいサイトさんを発見した。勝手にリンクを張らせていただいていいものかわからなかったので、「三川村郷土史」で検索してみてください。トップページから「三川を遊ぶ」をクリック、その中に「深谷隧道」の記事があるのだが、これが遊び心ある構成で、いろんな角度からこの隧道に触れることができる。もちろん上記の碑文も完全解読できるし、何よりこの隧道を歩いて抜けた子どもたちのエピソードが秀逸!ぜひご覧ください。
その石碑の左側には、チェーン封鎖された明らかな道の痕跡が。
単なる作業道なのか、隧道開通前の旧々道なのかは不明…でも、多分前者だろうとは思うけど。
さて、充分に堪能した。
遊ばせていただいたことを感謝して、旧道を下るとしよう。
この狭い坂を下ると…
こんなとこへ出る。たった今、左手の細い坂を下ってきた。
旧道はさらにノートさんの背後へと続いているが、現トンネルにも用のあるわたくしは、正面の広い道を下る。なんとこの道、
センターラインがある。
思うに、新トンネル開通後しばらくはこの道が使われており、先ほどのポイントで旧道と接続していたのではないだろうか?その後現道が開通し、この部分もあっさり「半旧道落ち」してしまった、というのが我が推測だがいかに?
そして最後に改めて、現道の新深谷トンネル。