【追記】
またしても未完成でアゲちゃったよ(汗)。記事末尾に全体の見取り図を追加しましたので、ご参考に~。
【6】より続く。
取水門とおぼしきコンクリ建造物。
たぶん隧道につながっているはず。
さっそく確認してみると・・・
いきなり土管!そして・・・閉塞!?
やはりこちらも風の流れは感じられない。そこには土砂が堆積していて、水の流れどころの話じゃない。が ・・・位置的に考えても、やはりこれこそが隧道の反対側と見て間違いないだろう。
いったい、放棄されてどのくらい経つのだろうか。なかなかの惨状だ。
やはりこちらも風の流れは感じられない。そこには土砂が堆積していて、水の流れどころの話じゃない。が ・・・位置的に考えても、やはりこれこそが隧道の反対側と見て間違いないだろう。
いったい、放棄されてどのくらい経つのだろうか。なかなかの惨状だ。
改めて、取水門の場所はこのへん。
再度ゆっくりと、取水門とその周囲を見てみる。
この「隔絶された感」 、格別。
この場所には、石田川伝いには到達できない。水深が深く流れも速いため、対岸からの渡渉も無理がある。よって、わたくしのように疏水をたどり、位置を推定し、最後には崖を降下して初めて目にすることができる。
まあ、決して難易度の高い道程ではなかったが、たまたま発見した疏水跡を追いかけてのこの成果に、けっこうな満足感を得た(笑)。
いや~楽しめた。
せっかく来たんやし、
ちょっと登ってみよう。
かなりの苔むし具合。
年季入ってるな~。
水門の昇降はどうやってたんかなあ~?
設備的なものはもちろん、名称や年代的なことなど、なんらの情報も発見できなかった。うう~ん、全ては謎かぁ~。
気づけば、時刻は17時50分。追分橋南詰を進入してからはや1時間半も遊んでしまい、徐々にあたりは薄暗くなってきた。照明もないのに暗くなっちまうと足元が危ない。そろそろ撤収だ。
再び平場へ這い上がり。
戻りには、先ほど隧道を追いかけて平場をショートカットしたために通らなかった石田川沿いを回ってみることに。
上の写真で木立の向こうが開けて白く明るく見えているが、あれが隧道の陥没痕や崩れた石積みなどがあった、切り開かれた一帯だ。
このあたりが、
石田川が大きく左カーブするエイペックス付近か。
崩れているが、ここからどうも謎な感じの道型…に見えるものが始まっているような…。
そこから数十m進んだあたりの様子。
こっから、前回気になった「疏水跡に見えなくもない窪み」が現れるようだ。
わかるだろうか?写真奥が進行方向、つまり隧道の南口方向なのだが、目前でターンして川へとつながっている…ように見える。…なんだこれ?なんなんだコレ!?
謎、謎。謎だらけのこの廃疎水遺構、
まったく何も解明しないままに
完結します(笑)。
ただ、ちょっとこれは調べてみたい…。
最後に、全体の見取り図をご参考まで。
関係ないけど、国土地理院の電子地図、早くも海老坂トンネルに対応してるのね。さらに言えば…旧道が完全に抹消されてる。これはやはり…完全に廃道となってしまうのかな。