【3】より続く。
前回のラスト画像。ちょっとくたびれたカーブミラーがいい味を出しているが、注目すべきはそこでなく、
右端にあるもの。そう、階段。
実は漫然と歩いていて、一旦スルーしたのだが…ふと右を見て…即戻り。
ありますがな、
石碑が!!
「道路修繕紀念碑」
裏面を見てみると、「修繕」についての経緯は記されていなかったものの、右側に「世話係」として十六人の人名が刻まれていた。そして左側には、
「大正十年五月
福井縣遠敷郡奥名田村
道路請負人 門野秀雄」
いやまあ、よく見ますよね、この手の石碑は。決して珍しくもないし、ましてや開鑿紀念碑でなくて修繕紀念碑やし。わかっちゃいるんだけど、それでもちょっと感動した。現役時代に幾度となくここを通ったが、こんなものがひっそりと法面のコンクリ裏に鎮座していたとは、という驚き。そして、福井県から職人が来ていたというのも興味深い。
有名な鯖街道に代表されるように、古来から近江の国北西部のこの辺りは、若狭の国との結びつきが強かったようだ。ちなみに奥名田村は1955年、知三村と合併して名田庄村となり、さらに2006年、大飯町との合併でおおい町となって現在に至っている。
ちなみに現在、この針畑川流域と旧奥名田村域を直接結ぶ車道は、(たぶん)存在しない。
密やかに道路を見守り続けてきた石碑。その横に立ち、右にならって道路のほうを眺める。
いよいよ廃道もクライマックス。現道との合流点が先に見えてきた。
階段上から振り返ると、
うーん、イイねぇーー!!
はるかかなた、橋の取り付きあたりに我が相棒・ノートさんがちっちゃく見える。