滋賀県道781(783)号麻生古屋梅ノ木線 針畑大橋旧廃道【4】 | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【3】より続く。
 
 
前回のラスト画像。ちょっとくたびれたカーブミラーがいい味を出しているが、注目すべきはそこでなく、
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右端にあるもの。そう、階段。
 
 
 
 
 
実は漫然と歩いていて、一旦スルーしたのだが…ふと右を見て…即戻り。
 
ありますがな、
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石碑が!!
 
 
 
 
 
 
 
「道路修繕紀念碑」
 
 
 
裏面を見てみると、「修繕」についての経緯は記されていなかったものの、右側に「世話係」として十六人の人名が刻まれていた。そして左側には、
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「大正十年五月 
福井縣遠敷郡奥名田村 
道路請負人 門野秀雄」
 
 
 
いやまあ、よく見ますよね、この手の石碑は。決して珍しくもないし、ましてや開鑿紀念碑でなくて修繕紀念碑やし。わかっちゃいるんだけど、それでもちょっと感動した。現役時代に幾度となくここを通ったが、こんなものがひっそりと法面のコンクリ裏に鎮座していたとは、という驚き。そして、福井県から職人が来ていたというのも興味深い。
 
有名な鯖街道に代表されるように、古来から近江の国北西部のこの辺りは、若狭の国との結びつきが強かったようだ。ちなみに奥名田村は1955年、知三村と合併して名田庄村となり、さらに2006年、大飯町との合併でおおい町となって現在に至っている。
 
ちなみに現在、この針畑川流域と旧奥名田村域を直接結ぶ車道は、(たぶん)存在しない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
密やかに道路を見守り続けてきた石碑。その横に立ち、右にならって道路のほうを眺める。
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まるで石碑のために開けたような、クリアな視界。
これにもグッときた。
現道の針畑大橋までも一望のもと。カーブミラーがそっぽ向いてるのも、石碑への気遣いかな?(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いよいよ廃道もクライマックス。現道との合流点が先に見えてきた。
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ちなみに右手にまたしても登場の階段。16段もある階段だったが久しく使われた形跡はなく、登った先にも遺構やどこかへ続いてそうな道も見当たらなかった。じっくり見れば何かあるかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
階段上から振り返ると、
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うーん、イイねぇーー!!
はるかかなた、橋の取り付きあたりに我が相棒・ノートさんがちっちゃく見える。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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廃、お疲れ様でしたー!
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大変結構な道でございました。
ありがとうございました!
 
 
 
 
完結
 
 
…の前に、おまけで針畑大橋からの画像もいくつか。
 
 
 
中央左にカーブミラーが見えるだろうか?そう、例のあの場所である。
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…降りてませんよ(笑)。
 
 
 
 
 
今度こそ、完結。