【2】より続く。
未成道に進入して28分後、12時21分。お手軽な探索の目的地であったトンネルに、いよいよ入洞。
とりあえずお約束の振り返りショット。
空虚、という言葉がすぐに浮かんだ。
銘板が付けられているからには、正確に言えば未成トンネルではなく未供用トンネル。
だが、路面の舗装もない、洞内の照明もない、ない、ない。
路肩に吹き寄せられた落葉もあいまって、「これぞ未成道!」という光景がそこにはあった。
まあ間もなく、
真っ暗になるけどな!
暗闇トンネルでの礼儀作法、「闇を楽しむの儀」(笑)。いやあ、落ち着くなあ…。
653mの闇。その中ほどで
なんやねん焼酎のお徳用ボトルって(爆)
なんでこんなもんが転がってんのか意味不明。もしかして…誰かここで酒盛りでも?
闇を愛でつつ、ゆっくりと歩くこと10分。
出口が近づいてきた。
果たしてそこには…
いかなる道路風景が待って…
待って…
なかったーー!!
ここまで続いてきた未成の村道。トンネルを出て十数mで、まるでバッサリと断ち切られたように消えて無くなっていた。
いや、はいはい、実は知ってましたよ、こうなっていることは。
だが、いろんな記事で書いてきたように、知ってるのと実際にその現場を目にするのとではインパクトが段違い!コレはなかなかに衝撃的な光景だった。
ところで、路盤消失点の路傍に何か立っている。
そこには、
←至 県道64号線 至 県道70号線→
…。コレさあ、誰に向けての案内やねん(笑)。そしてまたこの内容って、意味あんのかいな?県道番号を言われても、ふつうピンと来ないでしょうよ。さらに言えば、ここ分岐も何もないし。
まあこのあまりに劇的な状況変化点において、なんらかのエクスキューズが必要だとされた、ということ?ていうか、立●●止の未成道において、それはいったい誰のために?という最初のギモンへとループする。
ちなみにこの先、県道64号線へ至るとされている道は、
おいおい、冗談やろ(笑)。
道は、ほぼない(笑)。
ただでさえグリップのないスニーカー、
いともあっさりと宮ヶ瀬湖へと滑落しそうなデスロードは荷が重い。
もとよりわたくしの目的はトンネルだった。衝撃の端点も見届けたので、ここで撤収することとした。
改めて、
清川トンネル、「奈落」側坑門。
すでにおわかりのとおり、道がぶった切れるキワキワ地点から撮影。これ以上下がったら滑落一直線(汗)。
この状態で捨て置かれたまま、
探索時点ですでにトンネル完成後17年が経過。
不思議なのは、ここまでの途中で渡った17号橋が2000年の完成だったこと。北側の道がこの状態であれば、トンネル建設は間違いなく南側、つまりわたくしが歩いてきた道を使って資材や重機の搬入を行ったはず。なのに、途中の橋の方がトンネルより新しいって、ツジツマが合わない。
コレはやはり、当初は作業道として仮設橋が架けられていた、ってことなのだろうか。それしか説明がつかないが…。
けっこうな危険を冒して、
ポータル脇によじ登り、「県道64号線方面」を望む。
いや、やっぱ道ないやろ(笑)。
どうやらこのトンネル、そう簡単には日の目を見そうにないな…。
調べてみたところ、この未成村道、正式名称は「清川村道土山高畑線」というらしい。
わたくしがたどったルートは終点側からだったようで、この清川トンネル北口(「奈落」側・笑)までの2079・194m、及び起点側(県道64号線土山峠)から8号橋先までの1134・806mおよび、なぜか不通区間中の12号橋54・5m(この時は探索せず)だけが一応完成、残り区間(8号橋先~清川トンネル北口)間で12号橋を除いた1454mが未完成区間となっている、とのこと。
なのでこの12号橋、前後に道がなくたどり着けない橋として、好き者の間では超有名な物件である。
この道については、「清川村議会だより」(第149号)
の9ベージ、村議の一般質問のページを見ていただくと、基本的なことがほぼわかるので、ぜひ一読を。
結論的には「ほぼ放置」状態のこの道。大幅に村の財政状況が改善しない限り、やっぱり日の目を見る日は限りなく遠そうな塩梅である。も、もったいない…。
以上、完結。