【前篇】より続く。
それでは、自己責任にて入洞。
波型ライナープレートで巻かれた坑口。
ってか、実際はこの部分、坑口外に突出しており、ここはロックシェッドの役割を持つ部分だと思われた。
すでに皆様お気づきのとおり、

洞内は完全素掘り!
イイね~!
一点うれしかったのは、
通行止めなのに、照明が点灯してたこと。
それも、素朴な蛍光灯ときたもんだ。いや~、イイわ~。通行止めになったばかりだったのか、あるいは通行止めは「ポーズ」だったのか…。
比較的安定しているように見えた洞内だったが、
真ん中あたりからは落石が目立ち始めた。
通行止めで「落石のため~」とか「崩落のため~」とか大抵ウソなんやけど(笑)、ここはマジだった。この狭小断面やからめっちゃ高いとこから落下してくるわけじゃないけど、このような完全致命的サイズのもあるしなあ。
真ん中あたりで振り返り。
補修予定箇所なのか、青いペイントがあるな。
先人が地元の方から得た情報によれば、この隧道、実は子どもたちの通学の便を考えて、戦後の昭和28年に掘られたものだという。地図で見ると、わたくしがこの細道に入ってきたところから県道をさらに北上したところに小学校、中学校がある。そこのことだろうか。
子どもの通学のために隧道を掘る…そんなステキな話は、実はよそでも聞いたことがある。地域の親たちが手弁当で隧道を掘る…そんな美しいイメージ。実際はそんないい話だけでなくいろいろあったのかもしれないが、なんであれ胸を打つエピソードだ。
てことはやっぱ、子ども用だからこその、この小さな断面なのかな?
そういう事実を踏まえて眺めるこの隧道、
なんか、グッと来ないかね?
この隧道を使って通学した子どもたちは、この隧道のそんな出自を知ってたのかな…。
反対側も、
同じく波型ライナープレート巻きのシェッド仕様。
いわゆる、これがホントの「鉄板」の構図(寒
確かに、
通学路にしちゃあ、いささかハードコア過ぎるきらいはある。
道路が整備された現在では、まあ通らんよね…。地元の方が少しは使ってたとは思うけど。
とは言え、ここまでのところは多少現役感があったが
うわーー!
コッチは駄目じゃん!
明らかに、
アカン状態やな、コレ。
しかし両側でここまで状況変わる?いや~ビックリ。
道はそのまま最短距離で、
集落に向けて降りて行く。
さっき隧道まで辿ってきたパートと違い、こちら側は明らかに完全人道。自動車の通行など考えられないレベルだった。
半廃道パートを抜けて、振り返り。
コッチから来てたら、また全然印象は違ったでしょうなあ…。
集落まで降りてきたところ。
最初に見たあの看板がコチラにも。
そこからさらに100m少々下って…
県道383号との交点で振り返り。
石柱に刻まれているように、この道はドンツキにある増福寺への詣り道。極めてドメスティックな道。
短いながらも濃密な、地域色の濃い道、堪能した。
最後に改めてご注意を。
この記事は、拙ブログらしくめっちゃ古い情報。今回記事を書くにあたって調べてみたら、残念ながらこの隧道は今や完全に使われておらず、隧道へと至る道も廃道となってしまっているよう。道路が整備されて、わざわざこんな人気のない道と落石のある隧道を通るなんて、もはや逆に危ないわな~。
通学路として掘られた隧道が通学路としての役目を終えたなら、廃されるのは必定。文字どおり、役目を終えた、ということ。寂しい話だが、ここは素直にご苦労さまでした、とのねぎらいの言葉を隧道にかけてあげたいところ。
…なので山神さん、代わりによろしくお願いしますね(笑)。
以上、完結。