【前篇】より続く。
行きには全然写真を撮らなかったので、参道の様子をどうぞ。
勾配はさほどきつくない。
「正一位 奥村大明神」の鳥居は、
昭和八年十一月の建立と刻まれていた。
その下、「正一位 稲荷大明神」の鳥居は、平成二年二月吉日。まあまあ新しい…と思っても、もう28年前のことなのか…ガクゼン
そして、赤鳥居。
この鳥居だけは、建立年が見当たらなかった(たぶん)。
改めて、正対。
異界と現世をつなぐ、ささやかな橋。
面白味のない橋と言われればその通り。でも、この無骨でマッシヴなテイスト、個人的には実に嫌いじゃない(笑)。
ちゃんと銘板もある。まずは右側。
「昭和三十八年三月吉日竣工」。
思ったよりも古かった。昭和四十年代あたりかと。
で、左側の銘板で、おっ!となった。
「遷宮記念」。
これを見て、ビビビっと脳内で仮説が。この立地で遷宮記念として昭和38年の秋に橋が架けられているということは…東海道新幹線(昭和39年開通)の敷設によって、奥村稲荷が鎮座していた山が削られることとなり、遷宮を余儀なくされたのではないだろうか?
…と思って、「今昔マップ」を見てみたら…
右側は現在、左側は1967(昭和42)年~1970(昭和45)年の地図だが、なぜか神社マークが描かれていない。それ以前の地図にも記載はなく、神社マークが登場するのは、1983(昭和58)年~1988(昭和63)年の地図から。
意味不明だが、お見せしたとおり、橋にははっきりと「昭和三十八年」という銘板があった。その橋自体も描かれていないことから、実際には奥村稲荷大明神はこの山にあったのだと思う。鳥居にも昭和八年とか刻まれていたし。全然他所から遷されたのなら話は別だが。
・・・うーん。
もっとスッキリ解決するかと思ってたのに(爆)。
「現世」側から「異界」側を。
こちらもちゃんと銘板が揃っている。
左側はお名前。
「みすぎばし」。ひらがな表記しかないとは、珍しい。
なんで記事タイトルでは確信的に漢字で書いてるかというと、実は山頂の石碑に「三杉橋」と漢字の表記があったから。なんで石碑の写真を撮ってないのかというのは、我ながらワカリマセーン(笑)。
で、驚いたのは右側の銘板。
「いなり山」。
橋なのに、川に架かってるのに「いなり山」。これは珍しい…ってかここでしか見たことない。橋である以前に、稲荷山(=異界)への入口であるということを、強烈に主張しているようだった。
…なのに、名前は稲荷橋とかじゃなくて、三杉橋っていう由来のよくわからん名前なのね?っていうモヤモヤは残るのだが…(笑)。
こんなちっぽけな橋でも、
物語はいろいろありそう。
これを2回にも分けて記事にするのは、我が社をおいて他にはないでしょう(笑)。
以上、完結。










