【前篇】より続く。
改めて隧道に正対。
国道の橋梁直下という特異な立地に気を取られがちながら、けっこうな勾配で下っているのにも気づいたり。
ゲートが閉まっていることからも、港の関係者専用の隧道なのだろうと想像がついた。
読み取れない文字もあったが(謎笑)。それ以外にも何やら情報過多ぎみのポータル周辺。順に観察していく。
まずはやっぱり、扁額。
「おおさわみなとずいどう」。
うん、ストレートかつ的を射たお名前、大沢港隧道。イイと思う(笑)。アーチ環を模したラインに沿っていくつか開けられた穴、パイプ類かなんか取り付けられていた痕跡なのか?
で、視線を落とすと例のゲート。
ものものしい注意喚起の看板が睨みをきかす!
まあでも、そんな犯罪目的でないわたくしには無関係。この点では、やましさはまったくなし(笑)。
向かって左側の側壁には、
こんな碑が埋め込まれていた。
画素極貧の先先代機による撮影なので、詳細の判読はできないが、要は隧道建設の経緯や尽力した人たちについて述べられたものだった。
注目すべきは、左端に刻まれた「昭和三十五年七月七日」の文字。おおむねコレが隧道建造時期と見て間違いないだろう。
ちなみに、頭上のバイパス(現道)にある境川トンネル、おせんころがしトンネルは、いずれも昭和44年の建造。うん、やっぱり先にこの隧道が存在しておったんですな。本来はもっと土被りもあったんだろう。
で、坑口向かって右には、こんな銘板?が。
「丸一建設株式会社 施工」と。
この会社、調べてみたら今も地元・勝浦で盛業中。清水建設のCM(だっけ?)じゃないけど、名前が残るっていいよなあ。
さて。
赤い文字で書かれた四文字が読み取れなかったのだが(笑)、あれは車での進入を指しての表記だと思うんだが(読めとるがな・爆)。どうなのかな?
なんにせよ、この時ホントにあたりには人っ子ひとりいなくて、逆に不安なくらいに静寂そのもの。まあこの状況なら誰かにご迷惑をかけることもないだろう・・・
とかなんとか。
言い聞かせながら、ちょっと失礼(笑)。
下り勾配で右カーブ、っていう線形を除けば、洞内はごく普通のコンクリートトンネルそのもの。延長は・・・30mほどだろうか。
そして、
抜けた先は、やはり港。
ヨッキれん氏が訪れた際(前篇でリンク)は、抜けた先に漁師さんたちがいて早々に引き返したとの記述があったが、この日はやっぱり人の気配なし。どこまでも波の音が響くのみだった。
抜けて振り返り。
大沢港隧道、港側ポータル。
いかにも「業務用の隧道」っぽい無骨な雰囲気が、実に悪くない。
扁額は当然、
「大沢港隧道」。
うーん、コンクリの質はいまいちかな?(笑)。
用は済んだ。長居は無用、戻るとする。
戻り際にふと目を留めた、洞内に置かれた木材。
・・・思わず撮っちゃった(笑)。
これは漁で使うものなのか、船の名前も書いてあるように見える。漁師さんが書いたのだろうが、このフランクな文言(笑)を、どんなテンションで書かれたのか気になる。おふざけでニヤニヤしながらなのか、あるいは憤怒の形相なのかで、だいぶ違うよな、コレ。まあ、前者だろうけど・・・。
ええ、もちろんさわってませんとも(笑)。
堪能した。色んな意味で(笑)。
お邪魔いたしました~。
あ~、
また行きたいなあ、房総。
以上、完結。