寶満宮参拝隧道 (福岡県太宰府市宰府) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
2017年6月17日、福岡出張中の唯一の休日だったこの日の、メインターゲットのひとつをご紹介。
 
 
ここは事前にリサーチしていた中で、車がなくても行ける物件としてマークしていたやつだった。それは、
 
 
某超有名観光地(・・・なのか?)の奥深く。
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い た 。
 
アレに見えるは、ア レ だ よ ね (笑) 。
 
 
 
はい、来ましたアレ。
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煉瓦隧道の登場でございます!
 
 
観光客でごった返す太宰府天満宮も、さすがにここまで来ると人影もまばら。このような場所にひっそりと在る煉瓦隧道は、もちろん歩行者専用である。
 
 
 
小断面ながらアーチ環は四層巻きと、なかなか堅牢な造り。そして立派な扁額が目を引く。そこには
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右書きで「参拝隧道」とあり、その上にも何か文字が。その文字は、これまた右書きで「寶満宮(ほうまんぐう)」だという。つまり、
 
寶満宮参拝隧道であります。
 
 
・・・宝満宮?
 
太宰府天満宮内には、そんなお宮はないし、隧道を抜けたところにもない。じゃあなんなんだ、といえば。
 
隧道を抜けて1.8kmほど山のほうにある竈門神社(かまどじんじゃ)がそれ。神社の背後にそびえる霊峰・宝満山から、「宝満宮」と呼ばれているようだ。
 
 
まあ詳しくは、後ほど。
 
 
まずは入洞。
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延長は・・・30mくらいだろうか。
 
側壁はイギリス積み、アーチ部は長手積みというベーシックな造り。サイズ的には、鉄道下の煉瓦橋梁や架道橋などで勝手知ったる、完全人道サイズだ。近々補修されるのか、チョークでの書き込みが目立つ。
 
 
 
100%、混じりっけなしの煉瓦隧道。
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当初から歩行者に向けて造られた煉瓦隧道って、実はほとんど聞いたことない気がするなあ。思い出せない。このあたりも、後ほど・・・。
 
 
 
あー。
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イイわ~。
 
 
 
 
先に、抜けた先からの見え方を。
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隧道を抜けて直進すると突き当たる、県道578号。そこからの振り返り。
 
左端の石碑には、「左 かまど神社  右 お石茶屋」の文字が刻まれている。かまど神社とは先述のとおり、この隧道の名前の由来でもある宝満宮だが、実は「お石茶屋」のほうもかなり重要なのである。
 
えー、これまた後ほど(笑)。
 
 
ね~?
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雰囲気イイでしょう。
 
最高だ。来て良かった。
 
 
 
改めて、宝満宮側坑口に正対。
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なかったな~この図は。
 
ありそうでなかったっていうのか、ありえないっていうのか。でも嫌いじゃない。いや、全然キライじゃない(笑)。
 
ちなみにこの隧道、2015年には太宰府市景観・市民遺産審議会が選定する第2回「だざいふ景観賞」の景観大賞に選ばれたのだそうだ。納得である。
 
 
コチラ側には扁額はないが、代わりに左下にこれまた大きな銘板が見える。それも2枚。
 
 
まずコチラ。
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昭和三年十一月 
寄進 麻生太吉」
 
 
さらにその左下。
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「受負者 朝倉郡朝倉村 古賀朝幸」
 
すんごい情報。
 
そう、なんとこの隧道、個人が寄進したもので、その寄進者は筑豊の炭鉱王として君臨した麻生太吉。現在の副総理・麻生太郎氏の曾祖父に当たる人物である。
 
その太吉がなぜ隧道を寄進したのか、というと、もちろん宝満宮への参拝者の便宜を図るため・・・であった。
 
 
のかどうか、実は違う説もあってですな。
 
 
これ。
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冒頭の写真、左手前の下にある、この「お石茶屋」。
 
かつてこの茶屋に、「お石さん」という女性が働いていて、そのお石さんに惚れた?気に入った?太吉は、お石さんが自宅から遠回りしなくてもいいように、わざわざこの隧道を造ってあげた・・・とも言われている。なので、この隧道は「お石トンネル」という通称でも呼ばれているのである。
 
 
そのような成り立ちから、実はこの隧道、太宰府天満宮内における唯一の私有地となっている。
 
つまり、
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今でもこの隧道は、麻生家によって管理されている(!)のだとか。スゲぇな。
 
じゃあ・・・あのチョーク書き込みも麻生家の手配で、ってことか。
 
 
麻生家といえば、現在も福岡県飯塚市で株式会社麻生を筆頭とする麻生グループを率いて盛業中。
その麻生グループのHPに、隧道についてそれこそ拙ブログなみに(笑)前後編に分けて触れられているので、ぜひご覧いただきたい。
 
 
上記の両方の説とも、アリな感じで(笑)。
 
ちなみに隧道が完成した昭和3年時点、太吉翁はすでに奥方を亡くした後。老いらくの恋だったのか、俗説に過ぎないのか。なかなかに浪漫を感じるなあ・・・。ちなみに太吉翁、昭和8年にその生涯を終えている。
 
 
そうそう、最後に。
 
請負者(受負者)として名が刻まれている古賀朝幸は、現在福岡市中央区に本社を構える株式会社古賀組(明治23年創業)の2代目。九州で初めて鉄筋コンクリート工事をおこなった人だそうだ。
この隧道では、すでにコンクリート時代に入りかけている時期にも関わらず、煉瓦という従来の部材を用いて、隧道を建造した。太宰府天満宮境内という立地に配慮したのか、太吉翁からの指示があったのか・・・。
 
おそらくは、立地への配慮に加え、筑豊の炭鉱操業でノウハウ豊富な煉瓦施工技術を活かした、というのが正解なのではなかろうか、と。
 
 
 
筑豊の炭鉱王が遺した、
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「愛」の隧道。
 
はて参拝者への愛か、さて惚れた女性への愛か、あるいは両方か。
 
 
珍しい私設の煉瓦隧道は、浪漫溢れる素敵物件だった。
 
 
 
 
一旦完結。【別記事】へと続く。