【2】より続く。
分断区間を踏破、国道166号との取り付きも確認した。
よって、
これより戻るとする。
が、この最終回のテーマは帰路にはないので、トピックだけつまんで見る。
まずは、チラッと書いたとおり、
帰路は例の木橋を渡った。
わたくしの乗ってるこの一本以外は完全に罠。実質的に平均台と同レベルの一本橋だった(笑)。
峠の掘割にあった、
なぜか一点だけの不法投棄テレビ?かな。意味不明。
そうそう、投棄といえば。これも往路でチラ見したやつ。
このバイク、投棄ってよりは上流から流されてきたように見えるんだけども・・・。でも上流には人家も何もないし。投棄されていたバイクが増水で流されてきたってオチかなあ。
ちなみに向こうに見えるのは、ふっるーい散髪屋とかの電動椅子じゃないのか。いや~いろんなもん棄てるねえ・・・。
戻りは、これらの道草コミで32分。
無事にスタート地点に戻ってきた。
いや、ずっと気になってたところを確認出来てスッキリした。堪能した!
・・・でいつもなら終わるところなんだが(笑)、あまりの「県道臭のなさ」にいささか不満。この一帯に何かないかと、改めてよく見てみた。そう、今回のテーマは、このスタート地点なんである。すると・・・。
ハケーンその壱。
角にあるカーブミラーの設置者は、「吉野町」だった。
この位置はすでに県道じゃなかった。つまり、県道から滑らかにカーブして続く舗装道路は、やはり吉野町道である、ということ。
そしてハケーンその弐。
コッチが重要だった。
それは、山でよく見る類いの看板。なにやら地図が描かれている。もしや・・・
果たして、そこに書かれていた情報は・・・
「主要地方道 大淀・中滝門・小川線」
県道表記キターー!
具体的証拠ハケーン!しかもその路線名は、現在の路線名(吉野室生寺針線)の前身である「大淀中竜門小川線」表記だった。(ちなみに「滝」は「竜」の誤字だと思われる。旧・中竜門村は小名の南西にある現・吉野町の字名。)
現在の路線名になったのは、ウィキ先生によると1972(昭和47)年のはずなのだが、この看板がそこまで古そうには見えない。そこはちょっと謎だが、まあウィキ先生ってよくウソもつかれるし(笑)。
ともあれ、ちゃんと「日の森峠」って表記もコミで県道だと明記されている。「もう長い間、不通県道やってます」ってことだわな~。
この発見に気をよくして(笑)目線を上げてみれば、
やっぱり気になるこの平場が。
実は出発時から気づいてはいたのよ。でも短い区間で全体が目に入るスケールなんで、とりあえずスルーしたのだったが。
いや、これねえ、
完全に道っすよね?
現道・・・いや、
不通区間の県道への合流点。
どうやらこの道、いつ頃だか知らんが
かつてはこういう感じだったんじゃ?
ちょっと整理してみよう。
青矢印が、県道表記のある看板。赤線が旧道跡らしき平場、という位置関係。
「旧道」が「県道旧道」であったかどうかは不明。つまり、県道指定以前からの道である可能性も含めてなんだが、赤線の示す通り、かつては現・吉野町道と同じ谷の奥を向いていたのではないだろうか。で、谷の奥のほうで中竜門や小名方面から来た道と接続していたのでは?
完全に妄想である(笑)。
ではあるが、それを補足する状況を最後にご紹介してシメとする。
この写真で位置はおわかりかと思うが、
不通区間突入直前に小さな橋があるのだが、
そのたもとにちょっと入ってみれば・・・
あるんですよね~古そうな道が。
じゃっかん近年の手が入ってる形跡もあるが、めっちゃ新しい道でもなさそう。
写真を撮ってないのが悔やまれるのだが、現在のような直進じゃなくってこの川のもう少し上流まで詰めたところで分岐していた、みたいなこと・・・はないだろうか。あー、説明もヘタクソやし、チョー弱気(笑)。
いや~まったく何も調べてないし、現地での妄想だけでございます。古い地図でも見つければわかることだけど、それをしないのがこのわたくしである。エッヘン!
自慢でもなんでもないわ!で、完結(笑)。