京都市左京区に、熊野橋という橋がある。琵琶湖疎水に架かっており、下流(西側)にある夷川発電所と同じく、土木学会選近代土木遺産Bランクに選定されている古橋である。
この熊野橋が、平成28~29年にかけて大きく補修され、面目を一新した。その新旧の姿を、記事にしておく。まつぴさん、思い出させていただき感謝です。
この橋を、最初に写真に収めたのは2012年5月23日のこと。
夷川発電所付近からのズームによる、サイドアングル。
そこはかとない、大正浪漫を感じ取れるだろうか?
南から正対(信号機付き交差点があるため、少しズームしている)。
うーん、わたくしなりに表現するなら、非常に「好ましい」橋かな~。
お名前は冒頭ですでに書いたとおり、
熊野橋。
見間違えようもなく、ハッキリクッキリと。こういうのはイイね(笑)。
「大正十二年三月竣功」。
嬉しい、お誕生日判明で、やはりの大正橋梁確定。つうわけで、親柱側面は必ずチェックすること。ここ、試験に出ますよ(笑)。
そしてこれもまた、お約束。
シンプルに、「疏水」と。
そもそも京都では、イチイチ「琵琶湖疏水」なんて言わない。いつだって単に、「疏水」と呼ぶ。なのでこの表記は、非常に腑に落ちる。
やはりイイのは、この高欄。
他の疏水橋梁とどことなく共通の、大正浪漫の薫りがする…あくまで個人の感想(笑)。
渡りきった北側からの正対写真をなぜか撮り忘れているが、
雰囲気の良さは変わらず。
さて、このようないい雰囲気の古橋だが、この橋のキモは、実は橋上から見ることはできない。もっと言えば、見る手段はほぼない。
ないのだが、それは後述するとして、もうひとつの美点は目にすることができる。
それが、この
非常に特徴的な鋼製橋脚。
優雅なカーブを描く、リベット打ちの特異な橋脚。めったに見ない類いのレアものだ。これもまた大正浪漫。
このように、
古びた桁とのマッチングが絶妙…だった。
で、先述の「この橋のキモ」というのが、実は、
この桁なんである。正確に言えば、桁を構成する床版(しょうばん)。
この橋の床版は、「モニエ式RC床版」という大変珍しいもの。これは鉄筋コンクリートの産みの親であるフランスのジョゼフ・モニエによる「鉄筋で補強したセメント」の技術を橋梁に応用したもので、現代の鉄筋コンクリートの先駆けとなる貴重な近代遺産である。
そういうものなので、橋の下にでも潜り込まないとそれを目にすることはできないし、正直この当時そこまでのことを知らずに行ったので、チャレンジすることもなかった。もし知ってたら、ちょっと頑張って降りたかも…。
…と、ここまでが、初訪問の時のお話。
時は流れて、2016年11月30日。
何も知らずに通りかかったわたくし、目を剥いた。
なっ、何ィ!?(キャプテン翼ふう)
熊野橋がエライことに!?架け換えられてしまうのか?
あの橋脚は
コンクリで巻かれて補強されてるし…。
よく読んでみれば、
「橋梁補修工事」となっている。架け換えじゃないのか…。
ならばひと安心…
なのかコレ!?
アカンのとちゃいますのん!?
結果的に言えば、アカンかったようだ。残念ながら老朽化したモニエ式RC床版はより軽量な床版に更新されてしまったようで、上の写真はまさに床版だが、惜しいことにすでに更新された後の状況らしい。
ちなみに、歩道部分だけはモニエ式床版を残す選択をしてくれたようなので、僅かながら改修後にも受け継がれたのは喜ばしい。荷重の少ない歩道部だからこそ残せた、ということだろう。
あと、橋脚の老朽化も著しかったということで、さっき見たように鉄筋コンクリートで補強された。
そしてさらに数ヵ月後、2017年4月18日。
気になっていた熊野橋は…
うぬ~ん(笑)。ああ~、こういう感じになりますか~…。
親柱は引き継がれたようだ。そして橋全体も落ちついた雰囲気にまとめられて、まあこれで文句言ったらバチ当たるかもね、ってところ。もっともっとヒドイ橋にすることは容易だっただろうし。
高さが大して変わらんように思えるが、それなら元の欄干も活かしていただけたりすると、なお良かったけど。
橋脚はやはり
全部補強されてしまった。でもオリジナルの橋脚を残してくれて、これもまた、ありがたい。
そう、この橋に関しては、補修するにあたっても橋梁としての価値を理解して、配慮ある工法、デザインにしてくれたと思う。何より、こうして補修して使い続けてもらえる、それが一番大事だ。わかっちゃいる。
でもね~(笑)。やっぱり少し残念。でも仕方ない。
かつての橋は、今はもういない。ここにこうして、往時の姿とそこからの変遷を記録しておく。