【4】より続く。
鳥越隧道・尾鷲側坑口。ポータル自体のインパクトはさほどない。
熊野側に刻まれていたとおり昭和9年の竣工。三重県内には昭和に入ってからの隧道でも楯状迫石を備えた桂城隧道(紀北町・昭和2年)や、楯状迫石プラス煉瓦ポータルの野見坂隧道(南伊勢町/度会町・昭和5年)なんて物件もあったりするが、それより少し年代の下ったコチラはそれらに比べると地味なのは否めない。ただし洞内のインパクトはそれらを軽く凌駕する。
尾鷲側の扁額。
熊野側のものよりは全然読みやすい。
隧道については一通り語り尽くしたが、せっかくなんでもう少し先までご案内しましょうかね(笑)。
隧道を出た道は80度ほどの急カーブで左へ。振り返ればすでに隧道も見えなくなりそうな。
当然ながら、★完全廃道★
では、しばし廃道の風景をお楽しみください。
廃道で見つけてトクした気分になる。あるある。
索道の痕跡?
ここは隧道から6分ほど歩いたあたり。道が広くなり、大きな平場になる。これは振り返っての撮影。
キリがないんで、この辺で引き返すことにした。
以上、完結
しないのだ、まだ(爆)。
実は今日イチの衝撃がこの後私を襲ったのだった!
隧道へ戻る途中のひとコマ。
ガサガサガサ
は!?
カ、
カモシカーーー!!!