【前篇】より続く。
これが最後の登りか?
「ターン2」から3分、
到着しました、峠のてっぺん。
なんだこの素敵空間は!
改めて、解説モドキを。
お地蔵様を抱いた鄙びた祠が最高の雰囲気を醸し出すこの峠道、「入部谷越え」(にゅうぶたにごえ)と呼ばれ、高島郡の平野部や湖岸の大溝港と朽木村を結ぶ最短距離の道として、長く歩かれてきた。
昭和26~33年にかけて拡幅工事が行われ、その総仕上げとも言うべき昭和37年の澤隧道開通をもって、自動車通行可能な道路となった…のだと思うけど、このへんいまいち確証が持てない。昭和37年まで徒歩でしか越えられなかったとか、考えにくいのだけど…。
「いやいや、今歩いてきた道が車道だったんでしょ?」と思われるだろうが、それは有り得ないのよ…。
なんでなのかは、今からお見せする。
でもその前に…
このお地蔵様のたたずまいが、たまりません…。
当時のわたくしはコレ1枚撮ったっきりで詳しく鑑賞もせず(お詣りはしたけど・笑)だったが、今見るとなんかとても興味を惹かれるお姿をしてらっしゃる。これまた、再訪したくなってきたよ…(笑)。
峠の切り通しには
さほどは古くなさそうに見える、道標。
画素極小の先代機(何回も書いてんなコレ)ゆえに細かい字が判読できないが、「入部谷越」の下には「朽木村 市場」「高島町 武曽」とある。
高島町、朽木村を含む5町1村が合併して高島市となったのは、2005年1月。よってそれより前の設置ってことだけはハッキリしている…ほぼ「それがどうした?」レベルの情報やけど(笑)。
切り通しを抜けた入部谷越の道は、転がるように下り始める。
コレは、
切り通しから3分ほどのところの激坂ヘアピン。
写真だと伝わりづらいけど、相当な急勾配。往年の非力な自動車を考えても、コレが車道だったとはどうしても考えづらいのですよ。
まあでも何しろ7年前のこと(爆)、勾配の急さを勘違いして記憶しているかもしれないし、真実は不明。いつかは再訪するだろから、また歩いてみるか…。
その際には、あえてこの朽木側からチャレンジしてみようか。
「あえて」と書いた理由。それは…
唐突ですが(笑)、コレは朽木スキー場。そこに見える道路が県道。
入部谷越の旧道は、残念ながらこのスキー場あたりで断ち切られて失われている。むりやり脱出してきたのが上の写真、というわけで。
これまた記憶が曖昧で、わたくしが道をロストした可能性も否定はできない。しかし十中八九、旧道は失われていたはず。
というわけで、復帰した県道上。
左を向けばもちろん、
この景色ですわな。
ヘキサと隧道。ありそうで案外見られないのよ、このコラボは(笑)。
澤隧道、朽木側ポータル。
こちらには扁額もなし。いかにも昭和中期の実用一辺倒なヤツだ。
洞内は
ボケボケで恐縮だが大幅に補修されている様子。卵型アーチが独特。
最後はお約束、
この構図は絶対ですな。
いつだって裏切らない(笑)。
こうして見ると、隧道前の線形もかつてはスムーズに旧道へつながっていたのが見て取れる。
この趣味において、サイト閲覧に飽き足らず実際に自分で動き始めたばかりの当時。この時期に訪ねたところは、どれも今見ると不完全燃焼感がハンパなく、訪問し直したいところばかり。
でもその詰めの甘さも含めての、「ある時期の記録」ということで、恥ずかしながら記事として投棄いたしました。
以上、完結。