2009年6月18日。この日は湖西~京都までいろいろ徘徊したのだが、どれも記事にしてない…っつうか、もはやおそらく日の目を見るネタは少ないと思うが…(笑)。
その中盤にやってきたのが、滋賀県道295号市場野田鴨線にあるアレ。
琵琶湖側から登ってきて辿りついた、
「アレ」の前に。
無骨なコンクリート・ポータルの
澤隧道。
滋賀県唯一(たぶん)の、卵型アーチを持つ隧道である。まぁ…とはいえ極めてジミ~な物件ではございます。
扁額。
達筆すぎるが故に、あらかじめ名前を知ってないと読めませんな…。
同業者でない方のブログなどでは、「沼隧道」と書かれていた…むぅ残念(笑)。
で。
ここへは予備知識もなく単純にこの隧道を目指してやってきたのだが…わたくし見つけてしまいましたの。
隧道の手前に…
道…ですよね?コレは。
うん、
間違いない。わかりやすい旧道だ。
旧道…いや、本記事のタイトルでは「旧道」となっているが、記事後半で見ていただく通り、この道が車道だったとは思えない。あくまで、「隧道が開通して車道となる以前の、峠越え道」としてご覧あれ。
ちなみに、澤隧道の建造は1962(昭和37)年のこと。けっこう期待して明治21年ごろとされる地形図を見てみたが、隧道なんぞなかった。そう甘くはないわな。
ほんの2分も進めば、
ターン・1(勝手に命名)。
わかりますよね?キレイなヘアピンだ~。
そこから3分で
ターン2。
ご覧のように、今でも完全に人が入っている。山仕事の道として使われているのか。
典型的な車道以前の荷馬車道…よりは立派な気がするスペック。長く朽木村へのメインルートとして歩かれてきた古道ならでは、か。
つづら折りを過ぎて、
最後の登りか?
【後篇】に続く。