【前篇】より続く。
継母岳をバックに、
はい、調子に乗って若大将スタイルで撮った若かりし頃のわたくしです。いや、お恥ずかしい・・・。
一ノ池外輪山からの分岐は写真がないのだが、ほぼ最高峰の剣ヶ峰と同じくらいの高さ。そこから眼前に遮るものなく継母岳と対面する。
前篇ラストで出した写真は、実はある程度降りてからのもの。降りる前の写真がやはりなかったので、ウィキ先生からお借りした。
この感じ。まるで羽を広げた蝙蝠のような、奇怪な山容。
距離感と高低差がピンとこないだろうが、今いる場所が標高約3050mほど?そして継母岳は2867m。
つまり、この大きな鞍部へ降り、そしてそそり立つピークへと急登する過程で、それだけの高低差を登り降りしなくてはならない。そして、その全てが一望のもとに。これは爽快だけど、けっこうキツい。
継母岳への分岐は不明瞭。確か降りやすそうなところから適当に降りたような気がする。その分岐する道はすなわち、前篇で触れた松原新道のことでもある。
不明瞭ながらも踏み跡っぽいものは確かにあった。浮石多数ではあったけど。そして時折、岩にペイントされたルーティング。
このように
(わかりにくいが)「濁川♨」とペイントされたものも。
間違いなく、かつての松原新道の生き証人だった。
そして、広大な鞍部の底に待っていたのは、
朽ち果てた鳥居と、朽ちつつある鳥居。
およそ人の気配の感じられないこの場所で見たこの鳥居は、なんかくるものがあった。おそらくこの場所が、松原新道と継母岳登頂ルートの分岐だったのではないか、と。
写真でわかるとおり、その背後はもう継母岳ピークへの断崖が迫る。ちょっとした・・・いや、まあまあの崖登り。
当時のわたくし、写真を撮ってない。記憶は極めて曖昧だが、まあたぶん余裕がなかったんだろう。
最下部に写っているのは、先ほどの鳥居。もちろんコレを登り返して帰還しなければならない。
2枚目のあの借り物写真での見下ろしアングルと比べて、どうだろう。段違いの圧迫感というか苦しくなる感じ、しないだろうか。
そう、先の写真でややもすれば感じられたかもしれない「チョロそう」感は、まやかしだ。これがこの山の警戒すべきところ。往復のルートが一望に見渡せる(ように思える)ので、簡単そうに思えてしまうのだ。
本来はあの写真くらいの好天でなければ、アタックするべきではない。広い鞍部でホワイトアウトすれば、簡単に進むべき方向を見失う。そうなれば、幻の松原新道をたどって地獄谷へ、あるいは踏み跡もない尺ナンゾ谷へと迷い込むことになり・・・あとはご想像どおり。
そういう意味では、わたくしのアタックしたこの日は、あんまり適切ではなかった。ホワイトアウトこそしなかったが・・・帰りに思い知った。
次に撮っていたのが、これ。
ヤバイっすな(笑)。
登ってみれば、そこは薄い馬の背尾根だった。これは・・・確か歩いてきた方向を振り返ったところで、左側から登ってきた。
右側は、三浦山との間に横たわる
千尋の谷。
そして辿りついた、継母岳山頂。
本当にささやかな、三つの祠があった。
信仰の山だけあり、御嶽のピークにはどこも祠が存在するのだが、こんなにささやかな祠は、ここ継母岳だけ。もちろん、お賽銭を置いてきた。
今でもあるかな・・・さすがにないな(笑)。
山頂から見た、その先(北側)。
いや~ヤバいっすな(笑)。
これ以上行けたのかどうかわからないが・・・いや、コレは行ったら逝くヤツだったと思う(うまいこと言ったつもり。
視線を右方向へと移せば、
尺ナンゾ谷へと落ち込む、賽ノ河原の西端。あそこに実は、滝があるのよね・・・。その向こうに見えるは、4つのピークのひとつ、摩利支天山。
まああのあたりも、今後の不定期シリーズでいつか採り上げたい所存でありまする。
上から遠望して、羽を広げた蝙蝠のようだった継母岳。登ってみれば、まさに羽のように薄い尾根の、切り立ちまくった険阻な山でありました。
最後のオチとして、無事だったからこそ今ネタにできる話。
帰路に天侯がちょっとアレな感じになってきて。
この鞍部へ降りてきた頃には雷がゴロゴロ鳴っていた。
ヤバすぎ。
この広大な鞍部で、自分よりも背の高いものなんてほとんどない。しかもカメラもぶら下げてるし、腕時計してるし、雲の中のドラミングは徐々に激しくなってくるしで(瀧汗)。
登り返しをキツイと感じる余裕もなく、できるだけ身を低くして、小走りで(!)登った。かと言って一ノ池外輪山まで登り返しても、状況が改善するわけではない。
幸い、外輪山へ到達するまでに雷鳴は徐々に収まっていったが、この時はホントにビビった。後に、近くに落雷するという体験もしたが(もちろん御嶽で)、恐怖感が持続するという意味ではコッチのほうが怖かったなあ・・・。
皆様、雷にはくれぐれも気をつけましょうね。
以上、完結。