【お断り】
この記事は、30年近く前の写真と不確かな記憶で、当時の探索記録を書いたものです。現状とは大きく異なると思われますので、ご注意ください。また、写真は複数の撮影日のものが混在しています。
【概要】より続く。
さあ、引っ張りすぎてる御嶽ネタ。最初に採り上げるのは、御嶽の4つのピークで最も南に位置する、継母岳(ままははだけ)。
位置を確認しておきましょうか。
やたら縦長(笑)な理由は、改めて。
位置関係を示すため、わたくしのいた王滝頂上、最高峰・剣ヶ峰、そして継母岳に赤線を引いた。
王滝頂上から見た、
剣ヶ峰。標高3067m
剣ヶ峰から左下方向へと視線を移していくと・・・
彼方に見える、孤高の峰。あれが、
継母岳。標高2867m。
信仰の山であり、手軽に登れる三千m級の山として年間に何万人もの人が訪れる木曽御嶽。黒沢口、王滝口などメジャーな登山ルートは渋滞するほどの混雑ぶりだが、しかしその多くは、最高峰・剣ヶ峰に登ると、そのまま下山してしまう。
山頂一帯の美しい火山湖たちはいろんな周回ルートでその全てを、あるいは一部を廻ることができるが、それらを歩くのは山好きの少数派。
そしてこの継母岳は御嶽山頂全域の中で、群を抜いて訪れる人が少ない、孤高の峰である。
最大の理由は、この峰だけは周回ルートが組めず、けっこうな高低差を登り降りするピストンルートでしか訪れることができないことだと思う。論より証拠、後ほどお見せする。
もう一つは、登攀ルートが荒れ、不明瞭で危険とされていることもあると思う。現に、現在の地形図からは、継母岳への登攀ルートは消えている。
消えている・・・と言えば。
【概要】で、御嶽には五つの登山ルートがある、と書いた。
実はここ継母岳に、幻の「第六のルート」がかつて存在したのである。
その名は「松原新道」。
不確定な伝聞情報だが、わたくしがお山にいる時に聞いたところでは、このルートを拓いたのは王滝村の松原さん(松原さんって何軒もあるんだが)であるという。
濁川温泉から白川の谷を遡上、旧地獄谷の白川地獄をのぞき込みながら、継母岳直下の鞍部を経て一ノ池外輪山に至るこのルート。濁川温泉を壊滅させた1984年の長野県西部地震の伝上崩れでやはり崩壊、廃道となったという・・・。
うーん、ちょっと拙ブログっぽいテイスト、出てきたね(笑)。
さて。
継母岳へのアタックを試みるには、まず剣ヶ峰の頂上社務所(祈祷所)向かって左を進み、一ノ池の外輪山に降りることから始まる。
ボケボケで恐縮だが、こんな碑がある(あった)。
「これより三十六童子 御鉢めぐりして万年雪の前に出る」
御鉢とは一ノ池のことで、この外輪山をぐるりと巡るのが御鉢めぐり。万年雪を巻いて二ノ池西側に降りるのだが、継母岳アタックはその途中で離脱する。
この御鉢めぐりルートに沿って、不動明王の眷族であるとされる「三十六童子」の石碑が点在していて、これらを探すのも面白かった。
ちなみにコレは、「不思議童子」。
外輪山を辿り初めてすぐ。左側に展開するは
旧地獄谷の壮絶なる光景。
煙はもちろん、噴気。2枚目の写真でもわかる通り、この頃の御嶽は新旧の地獄谷、どちらからも盛大に噴気していた。
晴れてるとずっと下まで怖いほどよく見えるんだけども、イイ写真が見つからなかった(泣)。
そして右側には
広大な一ノ池。これはまだ水気の多いほう(笑)。
この御鉢めぐりルートで、いやでも目に入ってくるもの。
それこそが、この