本日、無理くりひねり出した休みで、
観音坂隧道への別れを告げに行ってまいりました。
何度も訪ねた隧道ではあるけれど、今週末でサヨウナラと聞けば、滋賀に住む隧道趣味者としては看過できません。現地を訪れ、長年の労をねぎらってきました。最後にして初めて、長浜側からアプローチ。それも新鮮でした。
まあ、観音坂隧道については改めて、こってりと記事にいたします。とにかく、お疲れ様でした、と言いたい、今は。
そして、ここまで来りゃあ、スルーは不可能。
3年4ヶ月ぶりに、横山隧道へ。
不覚にも、こんな立派な隧道碑があるのを、本日初めて知りました。
これまでの訪問では見落としていたけど、完全に植生に埋没、かつ道よりもだいぶ上なので、こりゃあわからんわ。
なんでわかったかというと、一帯がキレイに刈り払われてスッキリしていたから。道こそ閉じられているものの、手入れをされている様子が手に取るように分かり、嬉しかったなあ…。観音坂もこういう感じで余生を過ごせれば素晴らしいのに…。
そして相変わらず、
素晴らしかった。
観音坂の行く末、隧道碑の感動とあいまって、ちょっと泣きそうになったわ(笑)。
大正12年製の総煉瓦隧道ながら、この米原側の状態はまさに完璧。これぞ全国に誇れるレベル。滋賀クオリティ、村田鶴クオリティここにあり。
この隧道は村田鶴作品群の中で最初に竣工した記念すべき隧道で、その意味でも大いに価値がございます。この隧道が滋賀にあることに感謝。
そのあとは、
健在を確認してびっくりしたり(架け替えられてると思ってた)、
素敵橋を見つけたり、
あー、ここはノーコメント(笑)。
今日は、いろいろと心揺さぶられましたよ。一息つくと思ってた地獄進行、まだ終わらなそうですが(泣)、観音坂の悲しみを横山が癒してくれたので、まだ頑張れそうです(謎)。
以上。
観音坂隧道の余命を知る機会をくださったケッパコ四駆さんに、改めて御礼申し上げます。知らずに終わってるところでした、ありがとうございました。