【2】より続く。
隧道を長浜側に抜けてすぐの右コーナー立ち上がり。
そこに、
大事なものがある。
それがコチラ。
「碑道隧坂音観」。
そう篆書体で刻まれた巨大な石碑。どのくらい大きいかは、最初の2枚の写真で推して知るべし。
隧道碑とは、その完成を記念して建てられる石碑で、それが掘られることになった経緯や関係者の苦労や功績などが刻まれている。隧道が掘られることがそれだけ特別だった時代の、まさに先人の想いが凝縮された、実に重要なもの。
碑文によれば、「大正九年以降具状請縣」、「昭和七年六月起功至翌年五月告竣」、つまり大正九年に隧道掘削を県に陳情しはじめて、昭和七年にようやく工事にこぎつけ、昭和八年五月に完成した、とある。扁額には昭和八年三月とあるのだが、この2ヶ月の誤差はなんだろう。
以下、隧道のスペックや道路も含めた費用など、重要情報がぎっしりと書き込まれたこの隧道碑。デカイ画像で貼ったけど多少見難くなっております。(いないと思うけど)リクエストがあれば無修正画像(爆)貼りますよ~。
わたくしの経験値の中で、これだけ立派な隧道碑はなかなか少ない。盛り上げた築山のてっぺんにそそり立つ巨大な石版。周囲の庭園風のしつらえも往時からのものとすれば、まれに見る豪華さと言える。
いや、実は横山隧道はこういうのが両側にあるんやけど(笑)。
そしてその裏面には、これも定石通り。
「名芳者附寄費工道隧」。
この隧道工事に当たって寄付をした、多くの人たちの名前が刻まれている。隧道に寄せた先人たちの熱い期待が感じ取れる。多くの人達に望まれた隧道やったのね…。
一番最初、右上にカタカナの会社が刻まれているのが激しく気になるが、いかんせん判読不可。「近江ウェルペット株式會社」と刻まれているように見えるのだが…まさか。この時代にそんなハイカラな名前の会社があったとは思え…マジなんかな?
80年以上の永きにわたって隧道と共に在った、先人の想いが詰まった隧道碑。心なしか、寂しそう。
地域の交通を支えてきた観音坂隧道。2016年3月26日、その大役を新トンネルに託して、83年の歴史に幕を下ろした。
声に出すか否かはともかく、これまで長い間ご苦労さま、と声をかけてくれた人たちは、きっと大勢いたに違いない。盛大なセレモニーなど行われずとも。
新トンネルができて旧隧道が廃される。それは仕方がない。管理者として維持管理の費用も考えると、隧道を閉じたほうが何かと都合がいい。それもわかる。
ただ、この隧道は芸術品でもある。一枚の絵画のように完成されたそのポータルに、余分なものはくっつけてほしくないのだ。この鉄板だけでもこんなに邪魔なのに。どうか、この芸術品を損なうような処置だけは止めていただきたい。閉じるならフェンスか金網にしてくれ。それが、せめてもの敬意。
仮にも土木学会選近代土木遺産Bランク=県指定文化財クラス。コンクリートでべったり封鎖など、まさに死者に鞭打つ行為。芸術的隧道への冒涜に等しい。
ぅわかってんのかよ?管理者(笑)。
笑ってるけど、笑い事じゃないのよ。
ラス前にもういっちょ動画を。
お別れに行った2016年3月23日に録った、長浜側からの動画、テイク2(笑)。ビデオシューティングのため、この日は3往復したのさ(爆)。
そして最後に。
観音坂隧道、長い間ご苦労さまでした。願わくは安らかな眠りを。
以上、完結。