山辺トンネルの想い出に寄せて (三重県尾鷲市倉ノ谷町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

魅惑の隧道が周辺に散在する三重県尾鷲市。その市街地に、かつて一本のささやかなトンネルがあった。その名は、山辺(やまべ)トンネル。
 
まず、かつての地図をご覧いただこう。
 
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これはわたくし手持ちの「県別マップル」2009年3版の該当部分を写したもの。ご丁寧にマーカーで色付けしてる(笑)。
 
 
で、現在の地図がコチラ。
 
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ご覧のように紀勢自動車道延伸による尾鷲北ICの建設に伴い、一帯は大きく整備された。酷道425号線の起点である坂場交差点も変貌、かつて西行き一方通行をもって「終点からのリバースだと最後の最後でトレースできないR425」として一部で有名だったが、あの一通狭小区間は国道指定を外れてしまったようだ。
 
そしてジャスコはイオンへと名称変更し、…トンネルは消えた。
 
 
今回は、この極めて地味かつドメスティックなトンネルの在りし日の姿、変容、そして死に様をご紹介する。
 
 
 
 

 
 
 
 
このトンネルを初めて訪れたのは、2009年11月1日。第二次三重県遠征の時だった。格段の想いをもってこのトンネルを目的としてきたわけではなく、単に地図上のトンネル表記をしらみつぶしに回る中での1箇所にすぎない存在。とはいえこの趣味で、当時もっとも遠出した場所として尾鷲までやってきたので、そういう里程標的な意味での感慨はあった。
 
 
そのファーストコンタクト、南側より。以後の便宜上、この写真を「1番」と呼ぶ。
 
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ごくごく普通のコンクリートトンネル。ただし幅員が狭小で、道路上でボトルネックとなっているのがわかる。
 
ちなみに今にして見ると、この時点ですでに地山の樹木伐採が始まっていたことがわかる。
 
 
 
 
南側の扁額。
 
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前髪がうっとうしいな(笑)。
 
そこにはトンネル名と建造年が刻まれている。北側も同じ内容なので、詳しくは後ほど。
 
 
 
 
そして抜けてきた北側。この写真を「2番」とする。
 
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ほぼ南側と同じビジュアル。無愛想極まりない。
 
洞内を歩いている方がいるが、撮影している間、それなりに行き来は多かった。
 
 
 
 
そしてこれが、
 
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北側の扁額。
 
特徴ある字体で「山辺トンネル」と書かれている。特に「山」の旧字、イカスね(笑)。その下には「昭和34年8月」。
 
特筆すべきは、その左に書かれたマーク。このマーク、実はR425を西進して奈良県へ、坂本ダムまでの間にある(大部分の)トンネル扁額や橋の親柱に、等しく刻まれているのである。これはなんらかの紋章(家紋?社章?)だと思うのだが、ご存知の方はぜひご教示くださいまし。
 
 
昭和37年3月に竣功した坂本ダム。その建設に合わせて整備されたものか、尾鷲から坂本ダムまでに存在する8本のトンネルと13本の橋は、全て昭和33~35年にかけて造られたもの(アレを除いてね)。そしてそう、この山辺トンネルも。
 
 
フリが長くなったけれども、同じ建造時期、そして共通した同じ刻印がこの山辺トンネルにも刻まれているということはだ、国道指定こそされていないけど、この山辺くんも「仲間」だったはずなのだ!
 
 
ちなみに…現在R425に指定されているこの区間、その前身は、主要地方道尾鷲上池原線…の前が一般県道尾鷲折立線、さらに遡れば…明治33年に完成した又口林道。すなわち、この地方で最初に「林産物搬出を主目的とした林道」として生まれた道だ。そこに開鑿された幻古の隧道が眠っているのだが…それはまた別の話(笑)。
 
 
 
 
 
 
 
 
そして約2ヶ月半後の2010年2月21日。再び通りかかった際には…
 
 
 
 
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思わぬ告示に仰天。この時初めて、山辺トンネルの運命を知る。
 
左端に山辺トンネルが写っているのがわかるだろうか?まだ早朝で薄暗いけど…。撮影位置は2番の写真からさらに30mほど後退したあたりになる。
 
紀勢自動車道は、この当時紀勢大内山までが開通済み。さらに南下すべく延伸工事が続いているのはもちろん知っていたが、よもやこんな形でひとつのトンネルの息の根を止めようとしているとは…。
 
写真から、早くも地山が大きく削り取られているのがわかる。もはや風前の灯火やな…。
 
 
 
 
 
そしてさらに時は流れ。
 
 
 
 
 
2011年4月23日。いろんな意味で史上空前の紀伊半島変態ツアー(笑)において、立ち寄ってみた。トンネルの運命を知った日から早くも1年2ヶ月が過ぎ、もはや開削されてしまったかと思っていたのだが…
 
 
 
 
辛くも
 
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その姿を残していた。
 
地山は完全に削り取られ、まさに坑門工を残すのみ。死者の顔を覆うがごとく、白い防音シートで閉じられた坑口が痛々しい。
 
その惨状にカメラを向けるピカ氏とアルプ氏、おもむろに接近するよとと氏。これは1番の写真の撮影位置と、ほぼ同じになる。
 
 
 
当然ながら進入禁止。シートの隙間から中をうかがってみたら…
 
 
 
 
なか…?
 
 
 
 
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衝撃の光景。
 
一両日中には「完全削除」が成りそうな。それは死にゆくトンネルの、最期の姿、まさにそのものだった。
 
この趣味にハマってから、廃されたトンネル/隧道、または開削されたトンネル/隧道の跡地や痕跡などはいろいろと目にしてきた。けどこのような、まさに「死に様」を目撃したのは今のところこの山辺トンネルだけだ。そしてそれは、決して気持ちのいいものではなかった。
 
 
 
 
いてもたってもいられず、回り込んでみた。
 
 
 
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これは…クルなあ…。
 
 
 
時刻は夕刻で、作業が行われていたにせよ、すでにこの時は終了していて無人だった。いろんな意味で、こんなタイミングはそうそうない。
 
これもまた、「呼ばれた」のではないかと勝手に思っている。
 
特にこの時は「穴のスペシャリスト」が何人かいらしたから…。
 
 
 
というわけで、ほんとはイカンのだが、降りてみた。
 
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うわ~…。
 
 
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これは酷い…。
 
 
 
 
地域のインフラが向上するのは喜ばしいこと。よって、これまで地域の交通に貢献してきたトンネルが開削されて、より良い道路が整備されることに、なんの文句もない。ただ…
 
このような光景は、隧道好きには厳しい。
 
 
しかし同時に、こういうことを奇跡的なタイミングで目撃し記録できたことには感謝したい。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
その後、2014年3月にも尾鷲を通ったが、時刻はもう夜だったし、イオンには行ったが(笑)このトンネル跡地には行かなかった。よって、自分の目ではここがどうなっているか見たことないのだが、
 
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ブロ友のrin7574さんの記事よりお借りした、この写真。R425を攻略後、尾鷲市街地へ降りてこられた際のショットである。
 
左右の道は新たに整備されたIC取り付け道路で、右へ行けば紀勢自動車道、左へ行けばR42坂場交差点。そう、新たに国道指定された区間である。
 
そして、この正面こそが、かつて山辺トンネルが存在した場所。ちょうど赤信号少し向こうあたりが、2番の写真撮影位置あたりだと思われる。さらに向こうに見える民家が、かつての南側坑口そばにあったお宅だ。
 
 
 
 
最後に、故・山辺トンネルのスペックを。
 
延長67m・幅員4.0m・有効高4.3m(「平成16年度道路施設現況調査」より)
 
昭和34年8月、竣功。
 
平成23年春、開削。享年53。
 
 
 
 
以上、完結。