【3】より続く。
池原二号隧道を東へ抜けたところ。
そこは、記憶にある限りでは、この険道区間でほぼ唯一の道が開けた場所。
まるでRPG。過酷なフィールド上の貴重なセーブポイントのように、ホッと息をつける場所だった。
そんな場所だからこそ、なのか、
「林道記念碑」、そしてさらに二基の石碑?が。
つまり、この区間はもともと林道として拓かれた道だった、ということか。
それにしても当時のわたくしときたら…これしか写真撮ってないんでやんの。まったく嘆かわしいことこの上ないが、何が書いてあったか、とか全然忘れてしまった。
まあなんにせよ、この池原の三隧道およびその周辺については、この地の探索をライフワークとされる険酷隧さん…いや池原隧道さんの、その名も「池原隧道に魅せられて…」を読めば分かるのではないだろうか!(丸投げかよ…)
さあ、いよいよ最後のターゲット、三号隧道に向かって出発!
しかしまあ、こと道に関しては
一貫してこんな感じ。
これぞまさに
険道ですな~。
くどいようですけど、主要地方道ですしね?
そんなん書いてるうちに~。
いよいよ最終目標・池原三号隧道に到達!
一号から始まり、だんだんフツーのトンネルっぽさが増してきてるでしょ(笑)。こんな感じのトンネルなら、ちょくちょく見るぞ。
…と思って進入してみるとだ、
やっぱ変態やないか!(爆)
コレはいったいどういうこと?ごくまれにほかの隧道でもこういう感じになってるのを見たことあるけど、なんなん~?
そしてやはり狭さの点でもすっかりヨユー(笑)。
そんな三号隧道で一番狭いのは
ココかな~。
このポイントをもって、
幅員はグーンと広がる。そして、カクンと下っている。
馬鹿による彩色画はスルーしてください…。
というわけで~、
池原三号隧道、
抜けたどーー!!
一号~三号、完抜け成りました!
いや~、実に楽しかった。憧れの池原隧道群を無事攻略でき、感無量であります!
この三号隧道には、これまでの二本にはなかったものが。
それがこの
小ぶりなお地蔵様。ポータル左側に設けられた祭壇?に安置されている。
このコンクリートポータルも後年のものなのだろうし、お地蔵様も本来は今と違う場所にいらしたのだろう。
本来ならこのまま険道を辿って行きたいところだったが、
なにしろ午後からはお仕事。昼過ぎには高岡へ戻らなければならない。ってことで、ここから引き返す。
そう、すなわち
もう一度、三本の隧道を堪能するであります!(笑)
というわけで、久々の走馬灯バージョン。
我、生還セリ!!
…とまあ、ご覧いただいたように、「隧道を抜けてナンボ」に終始した、中身のない記事でありました(汗)。まあここを訪れる者が往々にして陥る状態ではあると思うけど。
写真もヒドイし撮るべきものも撮ってなく、チェックすべき場所もチェックせず…。なので、ここにはぜひ改めて訪れたい!のです。
で、実は、
2012年4月30日、富山遠征の2日目に、
実は再訪をね。
したんですが、
ヌルい地域でのうのうと暮らしている者には想像もつかなかった、
「冬季通行止」
まさか5月末までが「冬季」とは!世間じゃ初夏でっせ?(笑)
と言いつつ車止めもないので、ダメもとで進入してみたけど…
残念。糸冬了。ノートさんじゃ無~理~。
いつか出直します…。
最後に!
険酷隧さんの動画で、一号隧道~二号隧道にかけての車載動画をどうぞ。
やっぱ動画だと臨場感が違いますな!愛機ワゴンRで快調に抜けておられます~。スーパータイト激坂S字もお楽しみに!険酷隧さん、許可いただきありがとうございました~!
以上、完結。