国道163号線の長野峠。この峠には明治、昭和、そして平成と、三世代のトンネルが穿たれている。
2008年7月12日に供用開始された。延長1966m、さすがの現代っ子だ。
それにより第一線を退いた、二代目の昭和隧道。今回はこれをご紹介します。記事のスタート地点はコチラ。
てことで、今回の主役は二代目なんだけども、ちょっと余談。
それまでに素質は十分にあった(笑)とは思えど、自分がこの趣味に決定的にハマったのは、某書籍で見た初代・長野隧道の見開きカラー写真がダメ押しだった…ように思う。あの写真は、本当に素晴らしかった。
サイトを見るだけでなく、自分でも探索をやりだすのに、そう時間はかからなかったし、その頃になってようやく、あの憧れの長野隧道とやら、実は我がホームからさほど遠いわけでもないことに気づいた…遅っ。
結果、当然というかなんというか、自分が初めて訪れた廃隧道は、ここ初代・長野隧道。まさに感動の対面だった。さらに言えば、この趣味で県外へ出たのもコレが初めてだったかな。
初代に関しては改めていつか記事にすると思うが、完全スルーも失礼なので、画像を一枚だけ。
当ブログ最初の自己紹介記事でも書いたとおり、(横山隧道と並び)我が最愛の隧道ナリ。今年は、必ず参詣(笑)に行く!
そういえば、横山隧道もまだ記事にしてない…重箱の隅ネタばっか狙いすぎやっちゅうねん(笑)。
初めて初代を訪れたのは、2009年3月20日。必然的に初めて二代目の昭和隧道に出会ったのも、この日だった。…あれ?
旧道落ちして8ヶ月が経過した二代目・昭和隧道、そのファーストコンタクト…けど、なんと封鎖されている!聞いてないよ~!事前情報ではまだ普通に通れるということやったはず…。
二代目・長野隧道・津側坑門。
けど、当日はとにかく初代で頭がいっぱい(ァーンド、実は嫁さん同伴だった!嫁さんは当然車で待機ですがね)で、この二代目にはこれ以上ノータッチ。
そして…月日は流れ…(大げさ)
2010年1月4日、再訪。
パッと見たとこ、9ヶ月前と変わるところはない。A型ゲートと看板が乱れている以外は。だが実は、大きく違っていることがある。…わかる?
正解は、ポータルの色合い。なんで?その答えは、坑口前の様子で知れる。
【2】へ続く。