【2】より続く。
今回の記事で隧道の解説パートについては、その大部分を大御所サイト「山さ行がねが」管理人・ヨッキれん氏によるこの隧道のレポート記事内での考察をパクらせていただいている。感謝。
這々の体で脱出してきた栃折隧道。
わたくしは最初の崩落地点で撤収したわけだが、先人の記録によれば、隧道はあと2ヶ所の崩落地点を経てさらに続き…その先で封鎖されている、という。そしてその位置は、反対側坑口のすぐ手前である、とも。
改めて現在地と、青線で示したのが隧道。
だいたい青線当たりの部分まで突っ込んだかと。
つまり、通り抜けはできないものの、隧道自体は貫通している、ということで、やはりこの隧道は峠下をきっちりと貫いているのであった。にもかかわらずの、この人道サイズ。コレはいったいどういうことか?
2004年に合併して南砺市になるまでは東礪波郡の村だった利賀(とが)村。村から県都・富山市方面への古くからのメインルートである栃折峠に車道が開通したのは、案外早い昭和12年。対して栃折隧道の建造は、その扁額が示したとおり昭和34年。
車道がとっくに存在しているにもかかわらず、新たに人道隧道が掘られた、その理由はと言えば…。
ここが、栃折峠。先述のとおり、昭和12年に車道となった。
ここから富山市(旧八尾町)となる。
その村域は山また山の険阻極まる地勢ゆえ、村と外部を結ぶ道路は、昭和46年にそれが解消されるまで、毎年5ヶ月にも及ぶ冬期閉鎖を余儀なくされていたという。ゆえにその間に峠を越えるには、当然徒歩で、ということになる。だがこの峠では雪崩が頻発し、人名が失われることもあったという。つまり。
この栃折隧道は、車道が閉鎖されている冬季に安全に峠をパスするための、冬季通行用隧道だったのである。そういう前提なので車道サイズである必要はなく、人道サイズで建造された、ということ。
この発想は、ぬるい地域にのうのうと暮らしている(わたくしみたいな)人間には全くないものだろう。冬季通行用の歩廊は福井県某所でも見つけたことがあるけど…。
実は村内にあと2ヶ所ほど同じような冬季用人道隧道が遺されていると知ったのは、この遠征から戻ってから。ぜひ再訪して、ほかの物件も見てみたいと願っている。
そんなことを書きながらも、記事は粛々と八尾側坑口探索へと移行しております(笑)。
峠を越えて、大きな右コーナーをクリア、続く左コーナーアプローチの外側に、
このような地味な分岐が。
人道隧道なんだから、もちろん分岐もこんな感じになるんだろうが、にしても地味。事前知識がなかったらいったんスルーしてたかも。
わけ入ってみると、
もう4月末だというのにまだまだ残雪が!
冬季用隧道という一見(我々には)突拍子もないその概念が、グッとリアリティをもって迫ってくるように思えた。そして、
彼方に見えるは…。
うふっ。
八尾側坑口、キターー!!
なんで国道に面してる方があんなにも開けっぴろげで、この奥まってる方がビッチリとブルーシートで封鎖されているのか、ちょっとした謎だ(笑)。
実態として、こちら側では一時期隧道を利用してなんらかの栽培?的なことが行われていたっぽいので、その絡みだろう。
しかし、この地山にできたおできのような、このへんてこりんなコンクリポータル。コレはなかなかお目にかかれない類いの変態っぷりだ。
結局のところ、この隧道は異形なんだわ、出自も含めて。
ブルーシートは思いのほかガッツリと張られて、めくったり開いたりは全然できなかった。
せめて少しでも洞内を…と足元の隙間から撮ってみたが、
なんかが放置されてるのはわかったが(笑)。
あってはならないものとかが写ってなくて良かった。
栃折隧道の全体図は、おおむねこんな感じだろうか。
青線が隧道、緑線はだいたいこんな感じやったような…という人道の痕跡。
そういえば上の地理院地図で、
この先(写真だと右方向)ににょろっと未成道っぽいものが見える。ここにもバイパス計画があったりするんだろうか?今度こそ、峠下を貫く車道トンネルの計画が?
そういう計画があったとしても、この隧道は、ぜひキチンと残していただきたい。趣味者的見地からはこのくらいの感じが心地いいが、地域の交通史や先人の苦労に思いを馳せるならば、なんらかの解説看板的なものがあってしかるべきな気もする。
あ、封鎖だけはやめてね(笑)。
以上、完結。









