9日ににゃんが遠くへ逝き、
そろそろ1週間が経とうとしています。
前記事へは、沢山のコメント、いいね、
そしてにゃんへのお心遣い、ありがとうございました。
心のどこかで、にゃんの復活はない、と思いながらも、
認めたくない気持ちと奇跡を願う気持ちが交差し、
にゃんの旅立ちの準備を全くしていませんでした。
旅立ったその日に業者さんを探し、
長くはおいておけないが、すぐでは心がついていかず。
2日後はちょうど大安だったので、4/11をその日に決め、
『静かに見送れるから夜間のご希望が多いです』という言葉に夜8時を選びました。
にゃんは元野良猫。
お外暮らし中のにゃんをご近所さんも知っているので、
まだ姿があるうちに会って、お別れもしてもらいました。
年齢的にはまだ若く、血液の病気なので外傷はないため、寝ているようなにゃん。
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この先数枚の亡骸画像がでてきます
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苦手な方はココで閉じてください
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色気はないけれど、氷枕ならぬ、氷ボトル
にゃんは、漢方をイヤイヤしてよく汚すので、
服の汚れ防止に私が羽織っていた祖父のワイシャツをかけて。
お布団かけて寝ているように穏やかな顔。
病気になってから、どれだけ穏やかな気持ちでいたことがあったのだろうと思う。
薬の時間になると、頑張って起きてきて、
漢方はイヤで、シリンジを持つかすかな音で逃げ出す。
ちょうど10カ月前の2023年6月9日。
この日、にゃんがくしゃみを連発し、
心配になって病院に行ったのがこの闘病の始まりだった。
風邪かも?
アレルギーかも?
ダニかも?
そんな『かも?』のため、
車酔いのヒドイにゃんを連れてなんども通った病院。
もしかして、
そのストレスで免疫介在性溶血性貧血という恐ろしい病気になってしまったのではないか?
もしも、くしゃみをあまり気にせず、通院も投薬もせず、様子を見ていたら、
自然とおさまり、こんな病気を発症しなかったんじゃないか?
と思ったりすることもある。
いつも良い子のにゃんだから、多分聞いても答えないと思うけれど。
業者さんが予定よりも早く到着し、
お引越しが早まりましたが、
野良時代によく遊んだにゃん家(母の実家)の横に車をつけてもらい、
私と母とご近所さんが見守る中、空へ昇っていきました。
空に昇る直前
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野良猫時代に馴染みのあった庭の花や、
よく根元で寝ていたアジサイの葉と一緒に。
にゃんは『うぅーーーーんっ』と言いながら、よくダッシュをしていた。
この時もそんな勢いで空に駆け上がったかもしれないね。
小さくなって戻ったきたにゃん
そして、マニアックだけど、
きっとこの先、どんなに望んでも手に入らない、
にゃんからもらった新しい宝物
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ベッドの上に転がっていた、
飲みたくなくて吐き出したであろうた漢方の丸剤
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4/12朝、
にゃんが来た。
喋らないけど、寝ている私の目の前に座っていた。
4/12夜、
母とfacetimeで話していると、母が猫が写り込んでいる、という。
その後チャッピ部屋に行き、片付けをしていると、
背中側で小銭がカチカチぶつかる音がした。
不思議に思い振り返るもなにもなく。
しばらくするとチャッピが机の上を歩いて紙を踏んずける音がしばらく続いた。
何をしているのかと見てみると、
チャッピは床で寝ていて。。
にゃんが来たのかもしれない。
『にゃん?』
『にゃんでしょ?』
『にゃん』と大きな声で読んでみたけれど返事はなく。
いつでも遊びに来ていいんだよ。
でも、大事な約束忘れないでね。
野良猫時代、動けないほど弱って姿を消したにゃん。
必ず戻ってきて、という私の願いを聞いてくれた。
おうちの子にしたくて、おうちの子になるために、
普段来ない時間帯を指定したのに、ちゃんとその時間に来てくれたにゃん。
病気を治そうっていう約束は達成できなかったけれど、
一時期回復し、その夢を見させてくれたにゃん。
今度の約束は、
もう一度私の元へきて、
そして今度こそ、
今度こそ必ず一緒に暮らそう。
もう少ししたら、
最後の往診と、旅立ちのお話ししたいと思います。
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早くいつもの世の中に
にゃまびえ
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