いやー、、、
これは、堪えました。
今や、倉本總、山田太一の名実ともに後継者と言える、岡田惠和の新作、「小さい頃は、神様がいて」です。主演はなんと!北村有起哉です。
北村有起哉扮する渉は、食品会社の中堅管理職です。彼は、会社のなかではフレンドリーで、家庭ではいい父親だと思っています。けれど実際には、会社では、今のことを何も知らない、時代遅れでこれ以上出世しない無能な人間だと思われ、家庭では、自分のことしか考えていない、家事は全て妻がやることだと疎まれています。
これはまるで、かつての私ではないですか。
家事の大変さは、自分でやらなければわかりません。ましてや、妻に断りなく、勝手に他人を家に招くなど、とんでもない話ですが、私も似たような事をしておりました。
しかも、食品会社で働いているプライドからか、単なる性格なのかはわかりませんが、食べるものの匂いを嗅ぐ、他人の作った自分の知らない類いのものは、手をつけようとすらしない。それがどれだけ失礼なのかがわからない。
自分で何かをしようとするのですが、何も出来ないので、結局妻が尻拭いをしなければならない。だから、そのことがどれだけ妻に負担をかけ、ましてや仲間由紀恵扮する妻のあんが、離婚をずっと考えているなど、夢にも思っていない。
嵐の日、同じマンションの住人を、渉は招待します。草刈正雄と阿川佐和子の夫婦と、小野花梨と石井杏奈扮する同性カップルです。川が氾濫するかもしれないというのは、岡田惠和が敬愛する、「岸辺のアルバム」のオマージュとも思われます。そういえば、家族構成もほぼ一緒です。
奇しくも三組とも、同じ職場でかつて働いていたり、今も働いていたりします。小野花梨扮する奈央と、石井杏奈扮する志保は、スーパー銭湯で働いておりますが、奈央はとてももてているのですが、志保はあまり仕事が出来ません。こういう細かな描写は、さすが岡田惠和です。
いつもの朝の食事のシーンもそうです。渉と近藤華扮する娘のゆずはパン、あんはご飯です。それを全て支度するのはあんで、家族の朝食を作り終え、自分が食べる頃には、渉は食べ終え、シンクに食器を置くだけで、片付けていると思っている。水につけすらしない。まさに私です。
象徴的なシーンがあります。朝食のとき、あんは渉にインスタントコーヒーを出します。ジャムが切れているから自分で買い置きを出すといいながら、どこにあるかわからない。分からないからあんに聞く。朝食の支度をしているのに、結局あんの仕事を増やしていることに全く気付いていない。ジャムの空き瓶も、シンクに置くだけです。
一人になってから、あんはおもむろにコーヒー豆をひき、自分だけのために、まともなコーヒーを煎れるのです。あんの時間は、そこから始まるのです。
あんはかつて、子供が二十歳になったら離婚するという約束を、渉と交わしておりました。渉はとっくに反故になっていると思っておりますが、あんはずっと、その約束を実行するために生きてきたのです。
その事を、渉に切り出すところで、初回は終わります。完璧な初回です。
※オープニングで、渉とあんの半生を、わずか数分にまとめておりました。渉は早くに父を亡くし、あんは兄よりも安いクリスマスプレゼントをもらっておりました。
ふたりは、同じ大学に通いますが、渉は恐らく第一志望で、あんは滑り止めで、そこしか受かりませんでした。しかし、そこでふたりは出会い、恋人となり、同じ会社に就職します。そこでもあんのほうが明らかに優秀なのですが、結婚を期に、あんは家庭に入ります。子宝にも恵まれますが、あんは一人で子育てをしなければならず、産後鬱のようになってしまいます。
これだけのことを、わずか数分で見るものに分からせるのです。岡田惠和は、先日、「続、続、最後から二番目の恋」を書いたばかりですが、今回も当たりのようです。