私は人を選ぶようにしてる。


人が複数になると、そこには合う合わないがあるし


二人なら大丈夫でも、複数になったとたんにむかつくやつもいる。


逆もあるしね。


自分の悪いところは、もちろん直そうと思うし、そう努力してる。


結構、いじられキャラだったりするから、言ってくれるのは有り難い。


逆に言えば、そうじゃない人って、誰からも言ってもらえなかったりするんだよね。


そういう人は、っていうか、自分を棚に上げて人を見下すようなこというやつは


ほんとーーに嫌い


なんで、そうなるんだろう?


そうはならないように、反面教師にして、自分の糧にする。


じゃないと、むかついた分、損だからね。


自分がされたらいやだなぁ、と思う気持ちは、大事にして


それをしないようにする。 そうしてプラスにする。


でも、気分が悪くなるから、そういう人は友達としていらない。


成長しあえない相手、人の成長の足を引っ張る人、自分を卑下しすぎて攻撃的な人


そういう人間にはなりたくないさ。


八月、

蝉、蝉時雨、夕立


近所を歩いていると、うるさいくらいの蝉の声


特に木の近くを歩く時なんて、蝉時雨って言われるのがわかるくらい


蝉の声のシャワーを、蝉の生きてる短い間のパワーを浴びた気がした。



その帰りに、死んでる蝉がいたけど


なんだか誇り高く感じたのは、気のせいじゃない



短い時間を精一杯全力で生きたって言ってるようで


その死に様すら、なんだかかっこよかった

なんだか、宇宙飛行士の野口さんがまきはらのりゆきの歌の


一節をもじって、言葉をおくったとか。


その言葉がなんだか、やたら忘れられなくていた。


昨日、船に乗って、何も見えないような暗闇で


星も見えなくて、どこに向かってるのかも不安になった。


でも、船を歩いてたら、反対側では灯台の明かりが力強く光ってて


星を探す勇気が出た。


灯台が、暗闇をゆく船の支えになるように、きっとその言葉はあったのかもしれない。



「夢を一つ 胸に かかえていこう 後に続く 誰かの光になるから」



自分の歩んできた紆余曲折も、挫折も絶望も


いつか誰かの暗闇を照らす光になればいい。


なんてセンチメンタルにもなったわけだ。 あーー、ださいなぁ

久々に、実家に帰ってくると言語の違いとアクセントの違いを感じる


たとえば、

わかりました→わかりした

ごめんなさい→ごめんなしてくさい(?だったかな、なんか長かった気がする)


なんか、東北ってか宮城だけど、まぁ東北とまとめていっちゃうのも

東北人的には納得できないけども、あえてそう呼ぶとすると


やっぱ東北人って、世間体とか謙虚とか目上とかすごい気にしてる


気がした。


西の人とかだと、がんがん俺は、あたしは、ってスタンス多いし

結構、札幌でもそういう年とか、世間体とか、わりとフランクだった気がするなぁ


あと、東京に対する劣等感みたいなのも感じるよ

どうせ、田舎さ、みたいな。


いいじゃん、東北

なまり最高じゃん、まねできないでしょ


って開きなおればいいと思うんだけどね。

もうなんかなまりがとれて、アウェイな気分だよ。

実家にいると。


やっぱ実家でて長く経つと、こう感じるもんなんかなぁ