クライアントさんと話していて
久しぶりに思い出した。
量子場調整をやっていると、
過去の悩んでいたことが
砂に書かれた文字の上を
波がさらってしまうように
おもしろいように忘れていくので
ほとんど意識することもなかったのですが
そういえば
わたし食べ吐きに悩まされていたなあ、
と…。
だいぶ長く続いたんですわ、これ。
摂食障害まで酷くはなかったのですが
1ヶ月に2、3度くらいの割合であったですかねえ。
発端は、10代後半の頃
極端なダイエットで1月半で10kgくらい痩せたとき
目指していた体重になってもちっとも幸せじゃなくて
「痩せたね~」と言われるばかりで
「きれいになったねえ」と誰も言ってくれず
(そりゃそうだ)
なんにも満たされなかったから。
悲しくて自分がみじめで好きじゃなくて
人と比較してはがっかりして
ストレスのはけ口として食べたり
生理前の過剰な食欲で食べたり
そこからどんどん自己嫌悪の
果てしない迷宮へのめり込んでいった…
最悪なときは、けっこうしんどかった。
食べたくもないのに
美味しくもないのに
泣きながら食べて
げっそり自己嫌悪に陥って吐いたり
そんなことを繰り返していた。
いつももっと完全な自分を目指していた。
もっときれいに痩せていないといけない。
気の利いたことを発言できなければ愚鈍である。
あたりまえの教養をもっていなくてはならない。
いつもいつも、目に見えないモノサシで自分を計っては
つねに批判を繰り返していた。
ダサい、太っている、醜い、愚か、ダメ
これじゃあ誰にも愛されない
これじゃあ認めてくれない
全然ダメだ、ダメだ自分
という無限ループ。
量子場をするようになってからも
頻度はかなり減ったけれど
しばらく続いていましたが
いつのまにかなくなっていました。
自分の悩みを人に言うのは苦手で
言ったとしても誤解されることが多々あるし
憐れみの目を向けられたり
変に同情されたり
蔑まれたりと
人からの評価をとかく気にしていた以前のわたしは
できるわけがなく
ずっと自分で調整してきた。
そのおかげかな。
もう、頭の中にくりかえしている批判の言葉もなく
目の前の人にどう思われてもいいやと思えるようになったし
以前より人の批判や悪口は応えなくなった。笑
しかたない、人はそれぞれ違うのだから。
人がどう言おうと、わたしはわたしだ。
人の顔色を伺って、自分の発言をする必要はないし
人にどう思われたって
わたしは自分がけっこう好きだし
わたしを愛してくれるニャンコも父ちゃんもいるし
それでいいじゃないか。
何が不足なんだ??
そんな風に思えるようになってます。
過去のわたしと比較すると、奇跡に近い。
しかし、奇跡は起きる。
人は変われる。
ほんとに誰でも変われると思いますよ。
そのための手段はなんでも良いと思いますが。
変化した人が堂々とこういうことを語ることで
ほっこりできる方もいたらなあと
書いてみました。
※こちらは2015年9月の記事です