疼きは海岸に次々に寄せる穏やかな波のように、やってきては去っていた。
またやってきては去っていった。
時々その痛みは顔をしかめなくてはならないほどきついものになった。
しかし同時にそれは、今までに経験したことのない温もりを彼にもたらした。
(略)
彼が感じている温かみは、痛みと対になって訪れるものなのだ。
痛みを受けれない限り、温かみもやってこない。
それは交換取引のようなものなのだ。
『1Q84』BOOK3 村上春樹著
回復していく途中でときに
これでもか!
という痛みや苦しみに直面するときがある。
なんでこんな目に会わなくてはならないのか?
とっくに解消されたことだと思っていたのに
ぜんぜん良くなっていないじゃないか。
大丈夫、それは痛みが良くなっている
ということの証なのだから。
良くなっているからこそ気づく痛みなのだから。
むしろ、歓迎するべきことです。
(もちろん、そうでない場合もあり)
いままでアスファルトに覆われていて
見えなかった地表が
自分自身のまっさらな状態だとしよう。
日々の生活を送るには
アスファルトで舗装された道路の方が便利です。
振動も少ないし、スムーズに移動できるし
靴も泥で汚れることはない。
でもそれと引き換えに、精神は砂漠のようで
なにも面白さも楽しさもないー。
人生ってこんな味気のないもだったけ。
あのリアルな生きている実感は
どこにいったのだろう。
無意識から調整していって
過去からの癖が落ちていくと
アスファルトの割れ目から草が生えるように
だんだんと本来あった地表が
露わになっていくように
そこにあったけれど
いままで気づかなかった自分自身が現れてくる。
変わったわけじゃない
何かになったわけじゃない
いつのまにか何かから守るためにとか
何かに取り繕っていたりとか
必死に自分を装っていたものが
なくなっていく。
だってもうそうする必要がないのだから。
何にも覆われていないままで
見える世界は光に溢れて明るいし
そして、呼吸も胸いっぱいにできる。
でも、雨水がもろに入ってきたり
強烈な太陽光にさらされて
確かに過酷ではある。
でも、生きているということなんだ。
その苦しみは長くは続かない。
いずれ耐性ができて、気にならなくなっていく。
それよりは、生の現実に直面して、
まっさらな状態で世界と出会える喜びの方が
大きいことに気づいていく。
そうなったら、いつもの癖で
何かに対して自分を守ろうとしないで
もう世界に対して怖がらなくてもいいから
これからの楽しみや喜びを作っていこう。
そうすれば、喜びに世界は満たされていくから。
※こちらの記事は2016年6月の記事です











