☆ドストエフスキー『悪霊』を読んで(3)
備忘録3
☆小説『悪霊』は,主人公ニコライ・スタヴローギンの母親であるワルワーラ夫人とピョートル・ヴェルホヴェンスキーの父親ステパン・ヴェルホヴェンスキーとの友情物語として始まっていきます。
物語の舞台は,モスクワから北西に150キロほど離れたところにある小都市である。
ワルワーラ夫人は,未亡人で地元の大地主の貴族。男勝りで高圧的な話し方をする。気位の高い女性である。
一方のステパン・ヴェルホヴェンスキーは元大学教授である。パリで教育を受けた自由思想家を以って任じているが,持って生まれた貴族趣味が捨てられない。
かつてヴェルホヴェンスキー氏が,ワルワーラ夫人の息子ニコライ・スタヴローギンの家庭教師であったことから,ヴェルホヴェンスキー氏はワルワーラ夫人邸に住むようになった。
☆ワルワーラ夫人とヴェルホヴェンスキー氏は,お互いに惹かれ合いながら思いを伝えることができなかったために生涯結婚することはなかった。
ヴェルホヴェンスキー氏は,死ぬ間際になってワルワーラ夫人に思いを伝えます。
☆ワルワーラ夫人とヴェルホヴェンスキー氏の友情の物語は,『悪霊』のいくつかある主題(テーマ)の中のひとつと考えられる。
★『悪霊』に登場する個性の強い二人の人物について書いておこうと思う。
それは,シャートフとキリーロフである。
☆シャートフは,ワルワーラ夫人のスタヴローギン家の農奴の息子で身分は低い。
ニコライ・スタヴローギンの影響を受けて,彼に傾倒している。
ピョートルが主導する革命組織に入っていたが,脱退しようとしたために秘密がもれることを恐れたピョートルと組織の「五人組」によって銃殺され,池に沈められてしまう。
シャートフは「ロシア正教を信じている」とは言っているけれど,「神を信じるのか」というニコライの問いに「ぼくもいつか神を信じるようになります」と答えている。
そこが複雑なところだと思った。シャートフにとって,「ロシア正教を信じる」ことと「神を信じる」ことは別であるという心理なわけです。神道や仏教にシンパシーを感じる僕としてはシャートフの心の内を理解するのは難しい。
☆ドストエフスキーは,キリスト教徒のひとりとしてシャートフを登場させました。一方で無神論者としてキリーロフという人物を登場させています。
「神の意志に従わず我意を完全に貫いたとき,神が存在しないこと,自分が神になることが証明される。完全な我意とは,自殺である」という独特な人神思想を持つ。
キリーロフは革命組織の一員ではないが,ピョートルの策謀により,シャートフの殺害は自分がやったという遺書を書かせられ,完全なる我意を貫き自殺してしまう。
日頃から自殺を公言していたキリーロフを悪知恵の働くピョートルが利用したわけです。
この「我意」という使い慣れない言葉が印象的です。
☆ドストエフスキーが,「有神論者」のシャートフと「無神論者」のキリーロフを主要な登場人物として描いたことに大きな意味があったと思います。
「シャートフとキリーロフ」も「悪霊』の主題(テーマ)のひとつであったと考えられます。
◇以上が感想(3)(備忘録3)でした。
ここまでお読みいただきありがとうございました。