突然落ちてきた至福感 | 晴好雨楽な日々

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「愛」は大河の一滴から。


*数年前の秋の体験を改めて書いています
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「ゾーン」という言葉を聞いたことがありますか?
日本でも一流のアスリートや芸術家の口から「ゾーンに入る」という言葉を耳にします。

ZONE(ゾーン)は、直訳すると「地帯」「地域」など或る境界の中の特定領域という意味ですが、日常的な意識とは異なった「非日常的な意識」の領域をも差しています。古来から滝行や呼吸法など宗教的な修行の時に体験する「変性意識」や「超感覚的意識」の領域も、一種の「ゾーン」と言えます。

スポーツ心理学では、このゾーンに入ることをピーク・パフォーマンス(最高のパフォーマンス)と呼び、不要な視覚的・聴覚的情報はシャットアウトされ、感性が研ぎ澄まされて、時間や空間の感覚が異次元的になると言われています。

「ゾーン」は、「フロー」(心理学)体験とも言われ、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚で、スポーツ以外でも芸術家、俳優、音楽家、医師など時間を忘れて何かに没頭する人に起こりやすいと言われています。

そのどれにも該当しない私ですが、今にして思えばこれから書く体験も「ゾーン」体験と言えるかも知れません。

あの年の秋の1日は、生涯忘れられない出来事でした。
大学が忙しくてめったに家にいない息子が、めずらしく予定がないといいます。

小さい頃から、毎週末息子と出かけてきました。
それは特別な何処かへではなく、ほとんどは近くの川や山、湖などの自然があるところで過ごす時間。
花や木や虫を観たり、ただ話をしながら風に吹かれていることで、生きづらさの中で頑張ってる硬くなった心をほっとさせたかった。

その日は、北杜市のある小さな神社を目的地にしました。
方向音痴な二人が、スマホの地図アプリなどを見ないで紙だけの地図片手に目的地に行く訓練も兼ねての山歩き。

広い道路から細い道に入り、里山の脇道を二人でテクテク歩きます。

空は真っ青な秋晴れ。
稲刈りを待つ黄金色の田んぼと八ヶ岳のコントラストが絵のように美しい。イナゴが、足音に驚いて一斉に飛び立って行き、田んぼの上には、みたこともないほどの数のトンボが雪のように飛び交っていました。

まるで日本の原風景みたい。
昔の日本は、みんなこんな風だったんだろうな。
ここはまだ空気も水もきっと綺麗なんだろう。

虫を飼育箱に入れて観察し、写真を撮って野に返したり、鳥や木の実を観たりしながら目的地の神社を目指して歩いていた時のこと。

突然に、何の前ぶれもなく、何かが頭に降って来た。
まるで空にあいた穴から、昔のコントのようにタライが落ちてきて頭にぶつかるみたいに。

次の瞬間、表現出来ないような幸福感に包まれました。
いや、幸福感よりもずっとずっと強烈な感覚!

これは何??
何が起こったのか?

私という存在の自分がいて目に映る世界もあるのに、自分の存在は感覚だけしかなくなっている。
音も時間も自分も無くなっていた。

言葉にするともうそれは違うものになってしまうのだけと

「自分はすべて持っている」
「足りないものなど何もない」
「すべてはここに在る!」
という感覚だろうか。

ここに自分が存在しているだけで良いと思えた。
このまま永遠にこの感覚の中にいたい。

本当の意味でのどこまでも満たされている、って
こんな状態をいうのだろうか。
その満たされ感は、もう私の全身に目一杯埋め尽くされ、口や喉から溢れそうだった。

この感覚を、もしすべての人が体験したら、すぐにでも争いや戦いは終わるはずなのに。
だって、奪う必要もなく、望むすべてがあるのだから。

スピリチャルな訓練も学びもしていない自分にこんなことが起こるなんて信じられないけど
実際に起こった。

自然がいっぱいの所に二人で行くのはめずらくないし、いつものありふれた行動なのに。
あんなに足りないものだらけと不平不満を言っている自分なのに、すべてをもっていたことに驚く。

ジワジワ湧いてきた感覚でもなく、あまりに唐突で、八ヶ岳のその空間にパワースポット的なゲートでも開いていたのかも知れないと思いました。

その至福感がいつまでも味わいたくて、日が暮れても帰りたくなくて、あたりはもう暗くなっているのにいつまでもその周辺にとどまっていました。

なぜならそれは、明日になれば消えてしまうとわかっていたから。

その強烈な至福感は、どうやら私だけで息子はいつもと同じだったようです。
翌朝目覚めた時は、残念なことにいつもの私でした。

その半年後、息子も同様な経験をしました。

所属している野生動物リサーチの学生数人と年配のプロのカメラマンの方と植物園にある、古民家の庭の昔の遊びコーナーで遊んでいた時のことです。
竹馬をそれぞれがしていただけなのですが、勿論初めてと言うわけでもなくです。

その時の感覚は、「今までの人生で一番幸せと言っても良いくらいだった」と言いました。
彼だけでなく、そのプロカメラマンの方までが、後日「あれは夢のような素晴らしい時間を体験した」と語っています。至福体験が息子だけではないことに、改めて驚きました。

場「ば」とは、物理量を持つものの存在が別の場所にある他のものに影響を与えること、あるいはその影響を受けている状態にある空間のこととあります

生命場や、波動、エネルギーなど、または人智を超えたどれが関わって絶妙なタイミングでこの人生最高の至福体験が起こるのかはわかりません。

宇宙でわかっている物質は、全体のたった4%にすぎません。96%は、未知の世界なのですから、起こったとしても不思議なことではないかもしれません。

それから数年同じ日にそこへ出かけてみたけど、ソーラーパネル畑が出来てしまったり、神社の横の栗の木が減ってしまったり風景は変わってしまってなにも起こらなかった。

死ぬまでにもう一度味わってみたい!と願うけど
それは追いかけ求めても無理なのだろうと思います。
タイミングがそろったら
ある日突然何の前触れもなくやってくるものだから。