小学2年生クラス
女子ばっかり4人クラスなのでとてもにぎやか
講師の指示語通りに動く学習では
絵を描いたりアルファベットを書いたりして
リスニング力を伸ばす
今日は
「ウミガメを早く描いて」
「数字の11をゆっくり書いて」
などの指示語通り楽しんで描いた
コロナ以降、消毒済みのマーカー、消しスポンジ、ホワイトボードを共用せず各人に配るようになり、コロナが明けた今でもそのまま個別で使っている
いつもならこの学習が終わったら回収するのだけど、その日は回収し忘れて次の項目に移った
次の項目は「覚えてきた単語を言う」学習
一人ずつ行うのであとの三人は手持ち無沙汰
ひとりの生徒が何やらさっきのホワイトボードに描き始めると、他の生徒も描き始めた
私は生徒さんの単語チェックをするので、タブレット画面に釘付けだった
で、コソコソ書いてた絵が
これ
なに?
わたしを描いてたの?
私ってこんなイメージなの?
メッチャおもろいやん
コロナ、インフルエンザ、リンゴ病と次から次に感染症が流行ってなかなかマスクが外せないから、私の似顔絵もマスク着用やん
そやけど、なんでこんなに耳が大きいの?
でも全員、普段通り「なる」ってニックネームで書いてくれててうれしい
高学年から入学すると、どうしても「先生」「なる先生」のほうがしっくり来るらしく、「なる」とは呼んでくれない
その点、未就学生や低学年から始めた生徒さんは何の抵抗もなく「なる」と呼ぶ
ということは小学校3年くらいから社会通念というか人間関係の観念というか、そういうものが固定されてくるんだろうか
興味深いなぁ
親しい人や家族以外の人の名前を呼び捨てにするのは、日本人にはかなり抵抗がある
でも私は留学先でホストファミリーやその友人たちの名前は何の抵抗もなく呼び捨てにできた
なぜだろう?
まあ、ホストファミリーのあいだで名字にミズ、やミスターをつけるのは不自然だし、友人を紹介してくれる時は名前しか教えてくれないから名前で呼ぶしかなかったからか
それに名前を呼ぶことで親しみを感じるのは確かだった
生徒さんも将来、留学先で同じような体験をするだろうから今から、年上でも名前で呼ぶことに慣れるのはいいことだと思う
レッスン後のお迎えの時など、私も保護者様も子供の名前を呼び捨てにして話すが、この時「一緒にこの子を育てている連帯感」みたいなものを感じるときがある
そうはいっても保護者様へのメールには○○ちゃん、○○くんを使っている
やはりさすがに人様のお子さんを「書面」では呼び捨てにできない
が、このあいだ、ついうっかり「ちゃん」をつけ忘れて発信してしまった
最後の締めで感情が乗ってしまったばかりに、身内意識が働いたのかもしれない
呼び捨てにしている自分は、つまり相手を親しく感じているんだと気づいた
家族を思う気持ちになってたのかもしれない
開講当初から「なる」呼びを通してきたけど、これで弊害は今のところないからこれから先も貫いて行こう
この日も、子供たちからいろんな気づきをもらった
